| 蒼穹の空にふんわりと浮かぶ綿雲の様に、柔らかで滑らかな肌触りを彷彿とさせる、生クリーム。 中秋の名月と謳われる芸術的な球体を誇る満月の様な色合いと井出達をした、カスタードクリーム。 小さなブレッドを包む様に丁寧に焼き上げられたパイ生地が膨んで、人肌程度の温度で丁寧に温め溶かされ、空気をふんだんに含んで蕩ける様に練り上げられたチョコレートソースがかけられる。 珊瑚を砕いた星砂の様にさらさらと音を立てて、固めのケーキの上に掛けられるのは、ホワイトチョコレートとシュガー。 小さくまあるく焼き上げられ積み重なっているシューは、メイプルシロップと溶かしバターが寄り添い、中央に半月型に切り取られたバニラアイスと熱いエスプレッソが小匙一杯降り掛けられる。 何処を如何見ても、何杯も紅茶を飲んで無理矢理咽喉奥に落とし込まなければ為らない様な、甘い物体の数々。 (…………っっ、) 脳裏で想像するだけでも胸焼けし、口元を押さえ込みたくなると云うに、実際に自室のテーブルの上にどっかりと彼等が陣取っているのを目の当たりにし、スネイプは卒倒しそうになった。 此処はホグワーツ地下に存在する魔法薬学研究室の更に奥にある、スネイプが日頃寝起きするためだけに設置された簡素な家具しか置かれていない、スネイプのによるスネイプの為の自室。 元来、物持ちでも無い事も手伝ってか、僅かに差し込む陽の明かりを遮る物が無い為、魔法薬学研究室に比べれば未だ明度があるが、其れでも地下は地下。 目に付く色彩は、黒か白か灰色という暗鬱とした世界の中で、ダークグレーに統一された一人用のダイニングテーブルだけ、色彩豊かな異色の空間と化している。 所狭しと並べられた菓子には、更に極め付けとばかりに、苺やオレンジやバナナや桃と云った果物が飾り付けられていた。 あれだ、グリム童話の中に出てくる、ヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」の一部分を切り取ってきた様な光景。 一瞬此処が自室ではなく童話の世界にでも紛れ込んだのかと焦燥したが、テーブルの中央で懸命に卵白……と思わしきものを泡立てている少女を見付けて、現実なのだと思い知らされた。 「あ、セブルス。もう少しでプチパンケーキが焼き上がるの。」 「…………このうえ更に菓子を作るか、貴様…」 吐き出した厭味籠めた科白なぞ右から左へか、透明なボウルにこれでもか、とてんこ盛りされた泡の様な卵白に樹杓子を突っ込み、さくさくさくさくと音を立てながら空気を含ませる。 だが直ぐに我に返ったようにボウルをスネイプの胸元に押し付けるようにして立ち上がり、オーブンを開けると、傍目から見ればふわふわの美味しそうなチョコレートケーキを取り出した。 「セブルス、ショコラクリームと生クリームとチョコクリーム、どれが良い?」 覗き込むように、スネイプの視界いっぱいに飛び込んできた大きな菫色の瞳に、思わず息を呑む。 だが同時に、現実を付き付ける様な甘ったるいバニラの香りに卒倒しそうになり、文字通り息を留める。これ以上この甘ったるい空間に居たら鼻血を噴出して貧血を起こしそうだ。 「…………、お前の好きにしたまえ」 「駄目だよ、クリスマスにセブルスに作るケーキの準備期間中なんだから、ちゃんと選んでくれなきゃ。」 「…………以前も…と言うか、毎回言っているが、我輩は甘いモノは嫌いだ」 「うん。知ってる、だからクリスマスまでにどれか一つでもセブルスが食べられるようになればって思って」 額にサラリとこぼれて落ちる柔らかな漆黒の髪は、触れてみたくなるような艶やかさ。 だがしかし、卵白の入ったボウル片手に、「代わりに泡立てておけ」と言葉に出さず命じられた様な風体丸出しで無数の菓子に囲まれるを見ている己が如何にも情けなくて、スネイプは項垂れそうになる。 「少しはお菓子、好きになれた?」 「…………為れるわけ無いだろう(余計に悪化しそうだ)」 浮かべる笑みは一見優しげにも映る分、余計に酷薄。澄み切った清流の様に流麗に囁く声が、いっそ聞こえなければ未だ幸せだ。 何度この会話をしただろうか、何度考えても、常識的解釈では理解の範疇を度外視している。 ………判るかね、我輩はこの世で一番、甘いものが嫌いなのだ。 菓子よりも甘い恋を君に ![]() 夕方にも近い時刻、薄暗い地下室に備え付けられた換気用の窓から覗く空は、重く垂れ込めた灰色をしていた。 気に留める事も無く、手の内にある書類、そこに記された文字を追いながら、スネイプは脇に置いたアンティークな見栄えのカップに口を付ける。 「――――――、空か。」 咽喉を湿らす爽やかなシトラスの滴を求めてティーカップを傾けたは良いものの、一向に流れ落ちてくる事の無い気配に視線を投げれば、スネイプはそこでようやく器の中身が空になっていることに気が付いた。 仕事に没頭する余り、紅茶を切らしていた事にすら、気付かないとは。 ちらりと壁際の時計を見れば、もうじき夕食を告げる鐘の音が鳴る時間帯。となれば、あの子どもも、じきにこの部屋に来る事だろう。 最後に紅茶を淹れたのは何時だったか…と思い出そうとすれど思い出せない事実に、よくもまあこれだけ長い間高い集中力を保ち続けられた、とスネイプは自画自賛を滲ませた苦笑を浮かべた。 丁度其の時、コツコツと二度ばかり、重厚な扉を叩く音がスネイプの耳には届けられる。 良いタイミングだ、とたいした関心もない素振りを見せながら入室の許可を告げれば、案の定、彼女は大量の羊皮紙を両腕に抱えて居た。 「グリフィンドール3年生分のレポートをお持ちしました。」 「悪いが今手が離せない、適当な場所に置いてくれ給え。…それと、紅茶を淹れて貰えるかね」 「ご所望は?」 「――――――何でも良い」 …今思えば、此処で淹れて欲しい紅茶を指定しなかったのが、問題だったのだろう。 今となっては全て後付になってしまうのだが、彼女…が快く微笑みながら返事をした為、何の詮索する気も起きぬまま、再び羊皮紙に眼を通した。 もうじき、クリスマスと云う最大にして最悪の行事が腰を据えている事を、羊皮紙に没頭する余り、すっかりと失念していた。 鮮やかに飾り付けられた大聖堂のもみの樹や、オーナメントで彩りをつけていく柱を見て、気付かなかった訳ではない。 本当に気付かなければ為らないのは、もうじきクリスマスが訪れるという事実ではない、もっと奥が深く性質の悪いものだ。 暫しの間を置いて、ティーカップを二つ携えたが自室奥から遣って来た。見れば、香気豊かな湯気が立ち上る。 「どうぞ、セブルス」 「あぁ、済まない」 視線だけは相変わらず規則正しく書かれた文字の列に落としたままで、生返事を返す。 ハッフルパフの生徒にしては、中々的を得たレポートを書いているな、これは将来が聊か楽しみだ…と思いながら、差し出されたカップを受け取って口許に運んだ、 ――――――瞬間、 咥内に招き入れた液体を構築する要素が脳裏に自然と浮かび上がる前に、全身全霊を以って拒絶反応が起きて、口内に含んだ熱い液体を、吹き出し掛けた。だが、噴出しては為らぬと理性が叫ぶ。 為らば、如何しろと? 含んでしまったものは仕方が無い、味覚を一秒でも早く忘れ去ろうと無我夢中で胃に落とし込む。 だが、胃に落とし込んだ処で、胃から湧き上がる猛烈な存在に、暗色の眼を細め眉間に皺が寄る。 「、お前我輩の紅茶に何を入れた?」 「ミルクセーキ。ミルクティーみたいで美味しいでしょ?」 「確かに何でも良いとは言ったが、誰もミルクセーキを入れろとは言って居らん!!」 「………でも、入れるな、とも言って無いでしょ?」 ね?と天使さながらの微笑みで小首を傾げるように同意を求められ、スネイプは項垂れる。 すると、眼前に置いたティーカップから仄かに、甘い砂糖と卵をふんだんに使用して作られたミルクセーキの甘い香りが鼻について、卒倒しそうに為る。 ひとたび、ミルクセーキだと言われれば、ティーカップに其の侭卵と砂糖がどっかり入っているようにしか見えず、紅茶を自分で淹れなおそうと立ち上がった瞬間。 今度は、がさり、と音がした。 何事かと眼前据えれば、は腕の中に紙袋を抱えている。 多分、紙袋の中身は砂糖とホワイトチョコをまぶした、揚げ菓子かクッキーのはず。いやもうこの際どちらでも良いが、認識すれば強烈に、甘ったるく香ばしい匂いが漂ってくる。 「…まさか其れを食べろ、と言うのではあるまいな?」 「あらセブルス、今日も一段と勘が宜しいようで。甘さ控えめにしてみたからお一ついかが?」 天使の様な声で悪魔のような微笑み作り、は一つ取って差し出してくる。 想像とは聊か違う、見た目は普通のジンジャークッキー。だが、ここぞとばかりに、卵と砂糖と生クリームとバターがが練りこまれているかも知れない。 力いっぱい拒絶したいが、甘い。菓子が、ではなく、スネイプ自身が彼女に甘いのだ。 学年成績は上から数えて三番目、誰もが成績優秀・頭脳明晰と口々に連呼するグリフィンドールのは、学業の他にこれ等全ての菓子を自分ひとりで作り上げるのだ。 其れも、本やら雑誌やらを見る訳でも無く、半ば、神が与えてくれた奇跡の特技か何かのよう、ぽん、と閃いては様々な菓子を作り上げて来る。味はホグワーツ中の女子生徒と一部の男子生徒を虜にするほどの腕前だ。 そう、彼女の手から生み出される菓子は、万物に好かれている。 ホグズミードで菓子を買うくらいなら、材料を買って持ち寄り、に頼んだ方が美味いとさえ賛美されるほど。 だからこそ、甘いものがこの上なく嫌いなスネイプの為、甘さを控えたり甘さを感じないように工夫を凝らした菓子を作っては持ってくるを、無下に切り捨てる事も出来ないのだ。 何時もそう。の薄紫の瞳で健気に菓子を差し出されれば、呆気無く、負ける。 ……結局今日もスネイプは、諦めを含んだ溜息を落として、噛み付くように、菓子を口に入れた。 咥内に広がるのは、仄かに甘い砂糖とジンジャーの味。 更にもう一つ、と差し出したを咎めるように、瞳を眇める。 「…、何故毎度毎度懲りずに我輩に菓子を食べさせるのかね」 「何故って、判らない?」 「……甘い菓子の味ならもう充分すぎるほど堪能した」 胸焼けがする、最近は見るだけであの独特の甘い香りが脳内に広がって口元を押さえ込みたくなる、と言い掛けた言葉を殺す。 今が手にしているのは単なるジンジャークッキーだが、あと数日もしてクリスマスを迎える頃になれば、ブッシュドノエルやらシュトーレンやらが軒並みを連ねるのだろうか。 七面鳥やロブスターを食せたところで、最終的に待っているのは山のような甘いケーキ。 其れだけは勘弁願いたい、と今から無謀な交渉と言う名の説得をスネイプは始めた。 だが、 「違います。私は甘いお菓子を食べると、凄く幸せな気持ちになれるんです。心の中に灯が燈ったみたいに、ふわっとした幸せが訪れるんです。だから少しでもセブルスに分けてあげたくて」 「……為らば我輩はもう菓子を食べずとも良い訳だな」 「………如何云う意味?」 「我輩は別に菓子など食べずとも、お前が傍で満足げに菓子を食べているのを見ているだけで充分同じ感覚を味わえている。…それにだな、菓子なぞなくとも、幾らでもお前を幸せにしてやれる自信があるが、」 試してみるかね?と殺し損ねた苦い笑みをつい口の端に上らせ、その黒瞳はの瞳を真直ぐに捕え、羽ペンを置いた右手は柔らかな絹のような髪を滑り落ちる。 「試すって、なに――――――っ、」 の、その言葉がスネイプの耳に届けられる前に。 口唇から声が毀れるのを防ぐ為なのか、明確な答えを出させないためか、スネイプは椅子に腰を落としたままを身体ごと引寄せて噛み付くような口付けを施した。 両手に持った紙袋を落さぬ様に硬直するに好都合だとばかり、角度を変えて、もう一度深く。何度でも。 上がる息すら奪いたい程の想いに駆られながら、絡めた咥内は酷く甘い味がして。 だが不思議と嫌悪感が起きぬばかりか、更に深い口付けを与えながら、ふと思う。 「菓子など食べずとも、我輩は充分甘い幸せとやらに浸れるが?」 途端に腕に囲ったの顔と頬に薔薇色が走る。 動転し腕に持った紙袋を落とし、中のジンジャークッキーが割れるような事態にしてはならない、と紙袋は安全地帯の机の上へ。 耳朶に口唇を寄せ、やわくかかる息。囁くように、問うように、低い声がの名を呼ばう。 「お前が我輩に菓子をくれるなら、其れよりも更に甘いものをあげようではないか、」 机の上に置かれた紙袋の中に手を突っ込み、人型に切り取られたジンジャークッキーを一つ取り出しては、欠片を口に含み。 パキリと細かな音立てて砕かれた半分をへと差し、口角歪めて、誘いの言葉を告げてやった。 君が甘い菓子をくれるというのなら、見返しに甘いだけでは到底足り無い、恋をお返しに。 [ Back ] (C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/12/1 Present for アン sama |