手櫛さえ要らないのではないかと本気で揶揄する程見事な直線美を描く漆黒の髪を、指先で掬い絡め取っては手持ち無沙汰の様に弄ぶ。
リドルがどれだけ指の間で四方八方に髪の毛を揺らがそうが、神経が通っているかのようにしなやかに指間を擦り抜けてさらりと空を舞う髪は、結っても後が付
く事など到底有り得ないだろうと感嘆する。
夜の帳の様に色の乱れない黒一色の髪の毛はリドルが持つ髪と何等大差ないものだったが、こうして手の中にあると、本気で夜を切り取って来たような心地さえ
してくる。此処で太陽の光りが射し込み逆光に照らし出されたら光りの粒子がまるで星屑の様に輝いて、本気で夜空を眺めているみたいだ、と飽きもせず手に
掬っては零していた髪を一房指で柔らかく掴み、くいっと軽く手前に引っ張ってみる。
「―――――――――トム、」
小さな子どもが母親を呼ぶような其の仕草に、其れまで口を噤んでいたが口を開く。
「あぁごめんね、痛かった?」と申し訳無さそうに顔に悲愴を浮かべたリドルに対して、しゃりしゃりと歯切れの良い音を立てながら林檎を剥いていたは果
物ナイフを手に林檎を刻みながら、リドルに背を向けた侭で冷たく言い放つ。
「ウザイ、邪魔。」
タン…ッと果物ナイフがの手から滑り落ちるようにテーブルに突き刺さり、『スリザリンの氷姫』と揶揄される美麗な貌ににっこりと冷たい笑顔を貼り付け
る。
一刀両断、思わず退屈凌ぎに指で弄んでいた髪をの毛束の群集へ返してやると、其処等の女性ならば一発で謝り倒すような表情を零した。次いで、業とらし
く顔を顰めて見せる。さも、傷付いたとでも言うように。
「、僕は今風邪を引いて寝込んでいるんだよ?其の僕に対して…配慮が足りて無いと思わない?」
暑いから要らない、と子どもの様にブランケットを足元まで蹴り下げた行為がまるで嘘だったかのように、秀麗な顔を覆い隠す位置まで引っ張り上げると、強調
するようにコホコホと咽喉奥を鳴らす。
「風邪薬も飲んだのに熱が下がらないし咳が止まらないなんて、僕はよっぽど酷いんだね」と哀愁たっぷりに言い放ったリドルには剥き終えた林檎をサイド
テーブルに置き、漸くベットで臥せっているリドルを振り返った。
反動で、腰まである長い艶やかな髪が揺れる。
「冗談、酷い自覚が微塵でも有るならさっさと寝なさいよ、明日からのOWL試験如何なっても知らないわよ」
勿論、主席で通るリドルが38度の熱と僅かな倦怠感程度でOWL試験の結果が散々なものになるとは思っていないが、何分リドルよりも3学年も下に居る
にしてみればOWL試験がどの程度のものなのかは全く既知していない。
だが、上級生が忙しなく図書館を行き来し、蒼白気味に為りながら「6フクロウは…」とか「10フクロウ位は…」と口々に囁いているのを耳にしている。風の
噂では相当難しい試験だとも聞いた。しかしに関係無い事に代わりは無く、は上級生が明日に控えたOWL試験よりも明日の魔法薬学のレポートの方が
数十倍も重要だった。
図書館へと向う道筋に必ず存在するスリザリン寮の廊下で、風邪気味だというこの男にさえ捕まって連行されなければ、今頃は無事にレポートを書き上げていた
かもしれない。レポートが早急に書き上がれば、明後日に控えた妖精学の研究に着手出来たかもしれないのに。
貴重で有意義に為る筈だった時間を無理矢理奪われた挙句、こうして監督生室まで出向いて看病しているのだ、少しくらい不機嫌になってもいいだろうとは思う。まぁ普段から
愛想が良い方ではなかったし、リドルに甘えた声を出す様な出来た人間でも無いから、別にリドルは気にしても居ないのだろう。
だからリドルはそんなの不機嫌をさらりと交わして面白そうに言う。
「じゃあ一緒に寝ようか……そうしたらきっと5分あれば眠れ……」
「――――冗談、明日のレポート一行も書いて無いのよ?第一、私が風邪引いたら如何してくれるのよ」
「僕が代りに書いてあげるよ。」
文字通り悪魔の微笑み貼り付けて殊更綺麗に微笑んだリドルに、は心の底から溜息を吐きたくなった。
その微笑み引き下げて「具合が…」と言えば、頼みもしないのに看病したがる女は幾らでも居るだろうに。如何して態々私なんだ、と抱えたくなる重い頭を持て余していれば、
「……りんご、食べたい。食べさせて、」
「え?あぁ、人に剥かせといて食べないとか言ったら果物ナイフ飛ばそうかと思ったけど食べる気力はあるみたいね。私に剥かせた挙句に食べさせろって…私は何時から貴方の召使に格下げされたのかしら。」
「………が云うと本気で果物ナイフが飛んできそうだから止めてよ、恐ろしい」
「あら、私はいつでも本気よ?」
テーブルに突き刺さった果物ナイフを抜き去り掌の上でぽんぽんとお手玉でもしているかのようにナイフを振り回しながら、薄紫の瞳をゆっくりと細めて綺麗に
笑うさまでさえ、麗姿だと思うリドルは最早末期だろう。
実際妖艶と云う言葉が似合い過ぎる程秀麗なだったが、『スリザリンの氷姫』の形容詞がマッチングするほど冷えた心の持ち主だ。機嫌を損なえば、にっこ
り微笑んだまま本気で果物ナイフを飛ばしてくるだろう。
存外、遠くも無い近い未来絵図が垣間見れた。
観念したリドルは手を伸ばし、サイドテーブル上の林檎を一つ、また一つと手に取り見事に林檎一個を平らげた。
良い具合に腹も満たされ、満腹中枢が此の侭眠りたいと直接脳に伝達したように急激に睡魔に襲われたリドルは、駄目もとでもう一回をベットへ誘おうと口
を開き掛けたが、言えた言葉は名前だけだった。
「」
もう、帰るの?
そう言い掛けた言葉は咥内に広がる甘酸っぱい林檎の蜜で消された。
リドルに背を向け、椅子の背に掛け置いた自身のローブを手に取るを見て、急激に取り残された様な心地がした。たかが風邪一つで本当に弱ってしまった様
な思考回路。女なら誰でも良かった筈なのに、スリザリン寮の廊下で探していたのは紛れないの姿だった。
あぁそうか、僕は君が良かったんだ。
リドルは我知らず微苦笑を浮かべる。だが直ぐに其れは僅かな焦燥と驚愕に掻き消された。
が、手にしたローブをぶわりと音を立てて広げ、ブランケットを鼻先まで掛けているリドルの上に徐に掛けたのだ。
其処まで寒くない、と言うかローブを掛けてくれるなら僕のが其処に…と出掛かった科白を飲み込めば、がベッドに片膝を乗り上げリドルを追い立てる。
「……トム、私をベットから落とす気?」
「え、如何云う意味、」
怪訝に眉根を寄せたに言われるままに左に身体をずらしていけば、ヒールが僅か高い靴を脱ぎ捨てするりとベットに入り込むと、何事の無かったかのようにリドルのブランケットを半分奪う。
突然のの行動に紅蓮の双眸瞬かせながら、リドルはを見る。だがはリドルと視線を合わせる気すら無いのか、体ごと真逆の方向を向き、冷ややかに言葉を返して来た。
「私も昨日遅かったから夕食の鐘の音まで昼寝、よ。5分あれば眠れるんでしょう、さっさと寝なさい。」
そりゃあ確かに眠れると言ったが、まさか本当にがベットに入ってくるだ何て思っても居なかったリドルは予想しない事態に僅かに狼狽した。隣に好いている女が無防備な表情晒して眠っている最中に、風邪を引いていようとも易々と眠れる訳が無い。
頭がふらつき、言葉を紡ぐ事すら億劫で出来なくなるほど熱に魘されてでも居れば話しは又別なのだろうが、幸いか不幸か、風邪は然程酷くは無い。
少々難儀な事に為ってしまった、とリドルは眼を僅かに眇め、冷厳なの面貌を眺めやる。
「言っておくけど……私に風邪うつしたら遠慮無く果物ナイフ投げた上に呪殺魔法唱えるから」
「じゃあ、君に風邪をうつさなければ別に何をしても問題ないんだね?」
邪気を孕んだ微笑みが無意識に作り上げられてしまうのは本能と言えよう。
風邪の所為で身体から込み上げる鬱気な熱も、倦怠感に支配され鬱屈した思考回路も全て綺麗に洗い流されたようで、酷く心地が良い。
風邪をうつさなければ良い、そんな約束は簡単だ、君が『何をしても風邪だけはひかないようにする』魔法を掛ければ良いのだから。
「―――――――トム、大人しく寝ていないと二度と口利かないよ」
そんな想いを吐露し掛けた時に、の口から告げられた言葉は、リドルの心情を脆くも崩壊させた。
「おやすみ、」
観念した様に苦く笑って、リドルはが背を向けた方へ身体を寄せて瞳を閉じた。
「おやすみ、トム。目覚めたら…風邪が治ってると良いね」
驚くほど柔らかく優しい言葉に閉じた瞳を抉じ開けたリドルは、視界に移りこんで来る、其れでも尚後ろ背を向け続ける小さな身体に苦笑した。
リドルは一呼吸し、意識の矛先をさらに感覚の中枢に沈めた。眠りへと誘う満腹感と気怠い熱に覚醒は絡め取られ、次第に深淵へと舟を漕ぎ出すのを夢現で自覚
する。
君は僕の中で、僕は君の中でどんな関係の位置づけなのだろうか。迷うような、曖昧な関係だけど、同じベットで添い寝てくれる位だ、きっと想像以上に悪い関係ではないだろう。
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