十二神将を含め、神と名の付く存在に気温の変化から齎される感覚は脳が知覚する前に神経伝達の時点で相殺される。
齎される感覚は肌を焼き殺すような地獄の劫火に似た夏の陽射しだったり、カマイタチの猛攻撃に似た肌を切り裂く様な鋭利な風だったり、身の中から氷徹し破壊される様な冬の凍て付いた吹雪だったり、様々だがどれも全て自分の身に直接的な物質で施された傷では無い限り、特別感じることも無い。


だが、





――――――― ………… ―――――― ……………… ――――…






晴明、(隠形した)青龍、勾陳、朱雀、紅蓮、太裳が火鉢を囲み普段の良くある雑談をしながら若菜の淹れた茶に舌鼓を打っていた矢先、何かが鼓膜を掠めた様な気がして、はふ、と安倍家の天井を見上げた。
突然の視線の軌跡が自分の家の天井へと変化するさまを垣間見た晴明は、怪訝に眉を顰めた。
己の家の周囲には特殊な結界が貼って在り、其れこそ相手がの様な神で無い限り立ち入る事どころか、妖の気すら感じさせることが出来ない事を其の身を以って知っている。
安倍家の結界は、晴明自身が手厚く印を結んであしらえてある筈だ。だのに、
一体は自分の家の天井に何を見付けたのだ、もしや良からぬ…、と一抹の不安が胸中を一瞬で翔けた。




「御子、如何為さいました?」
「……何か感じたことが無い気配がするな、晴明。此れは何だ?」
「御子が感じたことの無い気配、で御座いますか? 其れはもしや私の熟知しない…」
「いや、悪の気配はしない、静謐な空気のような存在が空から引っ切り無しに落ちてくる」



驚くほど眼を引く整った容姿に不機嫌の色を貼り付け、過去の記憶を捜索するように眉を顰め答えたに、晴明はあっ…と思い当たる節を見付けた。
そう云えば昨日、先の見越しをと藤原氏に頼まれ星見をし、其の時の結果に明瞭に出ていたのだ。
今、が御身で感じた気配の正体、が。
と同じ様に安倍家の天井を見上げた晴明は、相貌に柔らかい笑みを貼り付けて、薄白く靄がかる息を吐きながら立ち上がる。



「御子は、雪の降る音が聴こえるので御座いましょう」
「………雪、……とは何だ、晴明?」
「雪を知らないので御座いますか、御子」
「聞いた事が無いのだから知らないのだろうな、多分。 晴明、雪とはなんだ、食べ物か?」



真顔で告げられたの言葉に一瞬晴明は不意打ちを喰らった様に双眸を見開いた。…が、また同じ様に穏やかな笑みを貼り付け、縁側へと続く襖をゆっくりと引き開いた。天界には若しかしたら雪が降らないのかも知れない、そんなことを思いながら。
案の定、襖を開けた瞬間。生まれて初めてのものを眼にし感動する小さな子どもの様に金眸を見開き立ち上がったを見て、晴明の予感は的中したと誰もがそう思った。



「な、……人間界でも雲が下に降りたりするのか? いや、人間界では空から雲が降るのか?」
「雲じゃない、此れが人間界に降る『雪』、だ」



そう助言した勾陳の言葉など既に脳裏に届いていないかのよう、空から滔々と零れ落ちてくる牡丹の花に似た綿雪に眼を奪われ、言葉無く立ち尽くす。
滔々と、深々と、音も無く降りそそぐだけだと思っていた雪が降る音など、未だ嘗て晴明たちは聞いたことも無い。
だが、何かに耳を傾けるように薄白く靄がかる息を吐きながら、星気も零れない冬の天を仰ぐを見て思う。
神と名の付く彼女にはきっと、聴こえているのだろう。暇無く空から落ちてくる雪の残響に似た軌跡を描く音が。




「人間界に降る、雪……か」




色味をもっていただろう草木や屋根瓦や庭の土を全て白に染め上げる、無彩にも等しい光景が其処に広がっていた。
闇夜から周囲を浮かび上がらせる為に設置された灯籠に白銀の雪が降り積もり、漆黒の闇夜に零される星の煌めきを飲み込む様に零れ落ちる雪は降り留まる事を知らず、引っ切り無しに落ちては積もり、積もっては高さを増してゆく。


この世に潜む何もかもが、善であれ悪であれ、一面の白に覆われ食らいつくされる冬が始まろうとしていた。















レプリカエデン




SideStory :あの日の雪の冷たさと、叶えられなかった約束を今でも覚えている







「なぁ、なぁ宵藍!触ると、雪が溶けるぞ……!」



初めて雪を見た小さな子どもの様に無邪気に声をあげながら、積もりたての雪に漆黒の布をあしらっただけの生足を雪に埋もれさせて両の掌で粉雪を掬いやっているの、その仕草に伴って揺れる漆黒の束が鮮やかに目を惹いた。
雪の上に舞い広がる漆黒の絹髪も、下衣の裾が雪擦れの音を立てている群青の外套も、既に膝の上まで埋もれている両脚も、皮膚の温度で溶け落ちてゆく雪の残滓を掬う掌も、余すところ無く綺麗な白銀に覆われている。
白と黒、決して相容れない筈の存在同士が綺麗に相殺されて溶け込むようなその眺めに青龍は瞳を眇め、幾ばくか離れた位置から雪の残滓を引っ被っているの背に声を投げた。



「当たり前だ、雪は溶ける」
「当たり前なのか?折角積もるのに溶けたら可哀想だな」
「……降り積もった雪が何時までも溶けずに残っていたら、季節は一年中冬だ。お前の好きな茄子も実らん」
「其れは困る、雪は何時止むんだ?」
「春が来れば止む。其れまでは時折こうして空から雪が降っては積もる」
「そうか、なら暫く雪で遊んで溶かしても誰も文句は言わないと言う事だな」



柔らかな微笑を浮かべたの声は波響に濁らず、透通る空気に低音が張り心地良く彼らの鼓膜を振動させる。
新しい玩具を見付けた子どものように双眸をきらきらとさせながら、は素足の侭辺り一面真っ白に覆われた庭を歩き、しゃく、しゃく、と踏みしめていく積もり立ての純白の雪は、に踏みしだかれて幾重もの足跡を遺していた。



「何だ、雪って踏んでも音が鳴るのか?」



踏みしめるたび素直に音を立てる足元の雪が、あまりに白くわけもなく愛しそして儚くて、飽く事無くただ夢中になって、新雪の上に足跡を残し続ける。
触ればふわりと軽いのに、踏締めれば具に凝固する雪をみて、は奇妙な感慨が募っていくのを感じた。
積もり立ての粉雪を絨毯へと変貌させているようだ、そんな感情から来るようなもので、は楽しげに瞳を細めると1メートル四方を正方形調に踏み固める。



「何だか、白い黒板みたいだな」



出来上がった白い絨毯を眼の前に、ふとがそう漏らした瞬間、何か画策が脳裏に過ったのか勾陳が口角を歪めた。
がそうした時と同じよう、ふわりと空を舞った勾陳は音も無くの隣へと舞い降りると、そっとの耳へ何かを言付ける。
位置的に勾陳の横顔しか見えぬ晴明ではあるが、其の時確かに勾陳の双眸が嗤ったのを見た。
此れは大方何か『面白いこと』を思いつきに吹き込んだのだろう、と察しがつく。隣で常に不機嫌オーラを全開にさせている青龍をちらりと盗み見て、心の中で合掌した。



其れから数秒後。
勾陳がの姿を遮るようにの後方に立ち、は勾陳の陰に隠れるようになにやら雪の上に座り込んで掌を伸ばし、何かを始めたようだ。
くつくつと堪え切れぬ笑いを抑えるかのように咽喉を震わせずに勾陳が笑う。其れを偶然にも青龍の視線も捕え、胸中に湧き上がる強烈な負の予感に、青龍の双眸が即座に鋭く細められた。


と、同時、が雪原から顔をあげた。



「出来たぞ、勾陳、此れで良いのか?」
「なんだ、意外と早く書け………」



に言われ、くるりと振り返った勾陳が言葉を最後まで紡がぬままに、俯いたままで肩を震わせている。
眼に見えて笑いを堪えているような其の仕草に、青龍はもとより晴明や紅蓮までもが「一体何が?」という疑問を脳裏に侍らせた瞬間、勾陳が堪え切れずに零れ落ちるように其の場に座した。




「くっ……、くくっ…ぷ…っはははは!くっ、あはは、はは、くくっ…」
「…笑うほど可笑しいか?勾陳、私は何処を間違えた?」
「い、いや、大丈夫…だ、、お前は間違ってな………くくっ…くははは、はははっ」
「間違ってない?……のに其の大爆笑は何故だ?」



頭に幾つもの疑問符を並べたが腹を抱えて大爆笑している勾陳に、これ以上聞いても埒が明かないと判断したのか、はすくっと立ち上がり一歩前へと踏み出す。
大方晴明や青龍辺りに聞こうと思い立ったのだろうが、其れが吉……いや、凶と出た。
が僅か逸れた隙間から、勾陳によって隠されていた本当の存在が月光に照らし出されて浮かび上がるように彼らの前に顕現したのだ。
薄く踏み固められた雪の上、の細い指先が懸命に走り作り上げられたのは――――――――、





「へぇ、――――――雪の上にも書けるんだな、相合傘って」





へぇと感心したように呟いた紅蓮の言葉に、床冷えのする青龍の瞳が睨む。
怒りを孕んだような表情で、青龍は無言のままの方へ一歩踏み出す。



「此れは相合傘と言うのか?って、如何してそんなに怒ってるんだ、宵藍」
「お前に余計な事を教え大爆笑している其処のやつにでも聞いてみろ」
「ま、まて青龍、別に私はお前で遊んだ訳じゃなくてだな、にこっそり教えてやったらが勝手に…」


勾陳の言葉と青龍の怒りに、「何か拙い事でもしたのか」と心の中で首を傾げるは、表情を歪めてこう言った。


「いやだって勾陳が、『この傘中に名前を書けばずっと一緒に居られるぞ、』って言ったんだぞ?」



だから書いてみた、と至極真面目にが言っている傍で、未だ収まらないのかくつくつと愉しげな笑み声が勾陳から零れ、語る双眸は悪戯が成功した子どものようだ。
其の様に、青龍は普段そうするように、ゆっくりと一つの重い溜息を吐いた。
この行為は青龍が無意識のうちに行う怒りを消化させる手っ取り早い方法だったが、今回ばかりはあまり効果が無いようで、怒りを押し殺したような眼を真直ぐ勾陳に向けたまま、静かに一歩ずつ歩みを進めた。



「如何した、宵藍。気に障ったのなら謝るぞ、」



が問うが、青龍は黙したまま答えず、静かに歩だけを進めている。
雰囲気から、怒っているわけではないのだろう事は伺えた。単純に不機嫌なだけだ。だが、一体何に機嫌を損ねたのかにはさっぱり判らず、精悍さの欠片も無い線の細い顔に困惑を塗りつける。
薄墨を広げ時折思い出したように星を鏤めた様な空の下、灯篭の淡い光りのなかだけで浮かび上がる雪原上に描かれた簡素で歪な相合傘の袂まで青龍が静かに歩き、や勾陳と同じように腰を折った。
一拍の間を置き、青龍は相合傘を睨むように視線を落して、徐に左手をあげる。


勾陳に唆され雪と云う媒体の上に書かれた、直に降り積もるだろう雪に掻き消される儚い相合傘を見て、青龍の中に沸き掻き消えぬのは低い低温の怒り。
一頻り笑い終えて満足したのか、勾陳が無言の侭隣に腰を据えた青龍の眼差しを仰ぎ見た刹那、胸中に過った外れないだろう厭な予感に掻き立てられ声をあげる。




「よせ、青龍……っ、」




だが一拍遅く、青龍は一瞬の逡巡無く、乾いた掌で相合傘に書かれた自分の名前を押し潰すように掻き消した。
予想の範疇外だが予感の想定内だった青龍の行動を見た瞬間、よりも先に、勾陳の眉が吊り上がる。
激昂しそうになる脆い感情をコントロールするように一拍の間を置いて、勾陳は言った。



「……何も、消すことは無いんじゃないのか、青龍。」
「……………………………直すだけだ」


鋭く低い低温の怒りに任せたような勾陳の問いに、青龍は風にでも流すような風調でさらりと言葉を返した。


思いも寄らぬ返答に思わず勾陳はを顧みて、二人同時に困惑気味に眉根を寄せる結果となる。
普段であれば激昂し、いい加減にしろと勾陳に吐き棄てた挙句に紅蓮に一言物申す、そんな勾陳を更に楽しませる類の反応をする筈の青龍の態度に、この時ばかりは虚を突かれる形になった。



「直す?やはり私は何か間違ったのか、宵藍?」
「お前が悪い訳ではない、誤字を教えた勾陳が悪いだけだ」


「…………………まさか青龍、お前直すって名前を書き直すってことか?」



呆然とした、あるいは緊張した声で勾陳が呟いた。
勾陳の言葉に素直に驚きを溢れさせた黄金の双眸は、寸拍置いて目の前の相貌へと注がれ、勾陳とのその視線の先にある相合傘の左側、青龍が己の手で押し潰した雪の上に細く温かな指先が添えられ、緩く字を綴った。




宵藍、と。




初めて字というものを書いたの、決して上手いとは言えない歪な『宵』と云う字の下に、流麗な書体で書かれた『藍』と云う字が添えられている。
字を書き終え、きっとまた此れで勾陳を初めとした面々に大爆笑されるのだろう、と腹を括って顔をあげた。瞬間、笑んだ金眸に、ぐらりと眩暈がしそうだった。



「お前の名を間違えて覚えるところだった」
「………別に間違えても問題は無いが」
「問題あるだろう、此れから書くときずっと私は間違えたお前の名を書く事になるんだぞ?」
「………まさか冬の間ずっと書き続けるつもりか?」


「冬の間は雪が降って積もるんだろう?そしたら消えてしまうだろう、私と宵藍の繋がりが」



眇められた勾陳の瞳と克ち合い、青龍は厳しい表情を変えないまま睨みあげる。
今にも笑い出しそうな勾陳を見ていると、全く、何処までも憎らしいこと極まりない。と青龍が知り合ってからと言うもの、如何云うわけか勾陳が誰よりもを使って青龍をからかう事に長けていた。
勝ち誇った微笑を口の端に湛え、ひらひらと手を振った勾陳は残りは二人でどうぞとばかり晴明たちの居る縁側へと消えていった。



「やっぱり消えてしまうんだな」
「雪だからな」
「消えたらまた書いてもいいか?」
「………………好きにしろ」



独りごちた吐息、見れば先程よりも色濃く白く曇っている。
滔々と降り続き溶けずに積もる雪の所為で、表面上の温度が急激に低下していっているのだろう。自然と外套の襟元を閉ざすように手で引き締め、思わずもう片方の手で身を擦って温める仕草をする。
誰に教えられた訳でも無ければ、然して寒さも感じない筈だと云うのに、先ほどの晴明たちの仕草が脳に刷り込まれている様で、何の根拠も無しに勝手にやってしまうのだ。



「もう中へ入れ、神とは云え、風邪を引く」
「風邪?風邪ってなんだ?」
「…………引けば判る」



青龍は呆れたように苦笑して、告げる。そうして二人、踵を返す。
釦を止めた群青の外套を翻し、その金眸は薄く透かされた扉の奥、雪の花弁が舞う宵空に向かっている。
一歩ずつ縁側へと近づく毎に頬を包む外気の冷ややかさは増し、晴明が待つ縁側の傍らに立つ頃には吐く息が白く籠もった。
温かな吐息が、ゆっくりと雪明かりに照らされた夜気へと拡散していく。



「なぁ宵藍、お前にも聴こえるか、雪の降る音が」
「―――――いや」
「雪がな、啼いてるんだ。悲しいのか嬉しいのか判らんが、雪が啼いてるんだ」
「なら嬉しいんだろう。お前には聞いて貰えるんだからな」
「………そうか?」
「雪の降る音が聞こえるなんて云う怪奇な耳を持つのは神位のものだろう」
「そうか、ならば良かった。」



時折吹き過ぎる雪を伴った微風に、頬にかかる髪は吹かれて撓み、煽られる。だが、気にとめるほどのものでもない干渉。
縁側までの短い距離を歩く足を、は不意に止めた。
ひら、と、音も無く泡沫の結晶だけで造られた雪が目前を落ちた。さらさらと、緩慢な足取りで数歩を進めれば、またひとつ。
手を伸ばして触れれば忽ちに溶け、掌に水溜りを作り上げてその上に次の雪が身を溶かすように消える様も、見るともなしに見ていた。



「来年もこうして、お前と雪を見たい」
「………あぁ、そうだな」



硬質な気配のやわらいだ青龍の声は、耳にあまやかな余韻を残した。


もう二度と、と青龍が共に雪を見ることは出来ないのだと、知る由も無かったとある冬の日。
あの日二人は、叶えられない約束をした。もう二度と、叶う事の無い儚い雪のような約束を。


































































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/11/13