「…………こんな処に花なんて誰が置いたんだ?」


人の世の時は平安、場所は天界に位置する阿修羅城の絢爛豪華な装飾が施された大広間の一角。
真紅に染まる曼珠沙華の花と葉が咲き乱れ、蔦が大理石を覆い尽くすように身を伸ばして茂り、名も知らぬ花々が所狭しと咲き並ぶ室内の片隅、忘れ去られたように六角形の硝子花瓶に一輪だけ薄い蒼色をした花が生けられている。

名を………何と言ったか。
即座に出てこないのだから、余り馴染みの深い花ではない事が伺える。
随分と昔に一度だけ見たことの在る其の花は、確か人間界に根付いていた筈だ。
の記憶が正しくば、天界には元来存在し無い花で在るため、此処に其の花が在るという事は誰かが人間界から持ち込んだ花が実を落し芽吹いたか、切花を持ち帰ってきたのだろう。



蒼い花を見詰めていれば、意識しない侭、強烈に胸奥に情壊の想いがこみ上げる。
この花に想い出など在っただろうか、とあぐねいていれば、傍に居た侍女が微笑みながら恭しくに言葉を述べた。



「御子様、この花は明鏡の泉の袂に生えていた花に御座います。」
「明鏡の泉……と云うことは、誰かが人間界から花の種を持ち帰ったという事か?」
「左様で御座います。生憎、誰が持ち込んだのかは存じませんが…、持って来られたのは阿修羅王で御座います。」


明鏡の泉とは、天界と人間界を繋げる異空間の隧道である。
天界から人間界へと降りる為または其の逆を行う際は、必ずこの明鏡の泉を潜らなければ為らない。
つい先日潜ったばかりの其の泉に、蒼い花なんて咲いていただろうか。況して、人間嫌いの阿修羅王が何故明鏡の泉に足を運ばなくては為らなかったのだろうか、と唐突に思案する。

如何考えても、阿修羅王が明鏡の泉付近に居るのは奇行に間違いないだろう。
意外な花の届け主の名に、は蒼い花からゆっくりと視線を上げ、目の前の侍女を見据える。
侍女は柔らかい微笑みを浮かべて、間違い無く阿修羅王に御座います、と述べる。
尤も聞かずとも、違えようもなく、その微笑が孕んでいたのは肯定だったのだが。



父上が、意外だな…、と再度蒼く淡い色彩を放つ花を見遣れば、の脳裏に唐突に一つの懐かしい記憶が蘇った。
名前も知らない一輪の蒼い花。
若しかしたら名を聞いた事が在るのかもしれないけれど其れでも、今思い出す事は困難な時点で、名前も知らない、と同意だ。


僅かに風に揺れる蒼い花弁に指で触れ、曖昧に微笑んだは、もう一年も昔に過ごした安倍邸でのある出来事に想いを馳せた。















レプリカエデン




SideStory :急に溢れて心を満たす感情の波、貴方の居ない世界が蒼に染まった







其の日は暇をしていた。
暇をしていたと云うと語弊が有るか…、誰もの相手をする者が居ず、若菜が淹れてくれた冷茶が汗を掻き温くなってしまっている。
其れでも芳ばしい焙じ茶を口に運びながら、白くたゆたう綿みたいな雲を唯眺めていた。



時刻は昼を僅かに過ぎた頃合。
昼餉を終えた安倍邸に現在居るのはと青龍と朱雀の三人だ。
若菜は珍しく市に出掛け(神気を完全に消した六合が付き添っている)、晴明は太裳と紅蓮と太陰と共に都へと足を運んでいる。
残る神将は全て異界へと戻っており、朱雀は夏の心地にいざなわれたか、晴明の部屋で晴明の帰りを待ち侘びながら一つ二つと船を漕いでいる。

青龍は、と云えば昼餉から姿を見ていない。
神気が僅かに感じられる為に安倍邸に居る事には居るのだろうが、の相手をする気には為れぬのか、気配を消しているに相違無い程だ。




「あー暇だ、退屈だ、空は青いし雲は流れるし一発空でも飛んで遊覧したい程暇だ…」




暇な時間を費やす事に飽きたの咽喉が震え、胡乱げな金霞が果てなく続く空を仰いだ。
麗らかな陽射しと開け放った襖の間を縫う様に翔ける風は柔らかく清々しい夏の風。
僅か視線を脇にずらすだけでもありのままの自然が残った、古き良き国の有様が垣間見れる。
最初の内こそ明らかに天界の景色と異なる其れに興味を抱き飽きるほど眺めていたが、人間界に半年も居座れば流石に厭きてくる。
季節が変わればまた話は別なのだろうが、夏を迎えて早二ヶ月。
緑が血気盛んに覆い茂るこの季節は、青空とあいまって、眼に痛い程のコントラストを築いている。


………だが、其れだけ、だ。


自分にまるで縁のない風景を眼に焼き付けるほど見たは、彼方で鳥の音を聞きながら、早く誰か帰ってこないか、と其ればかりを考えていた。



「退屈過ぎて死ぬかもしれないなぁ、本当」


胡坐をかいた膝の上、頬杖を付く様に左手で今にも崩れ落ちそうな顎を支えるような体勢で一息零せば、傍らで盛大に呆れた様な溜めた息が漏れ聞こえてきた。


「神は退屈すると死ぬのか」


真上から降って来た冷えた声に、は少しだけ口の端が上がる。
鴨が葱を背負って歩いてくる。あぁ、丁度良い処に遊び相手が帰って来てくれた、と。
此れで暫くは退屈しそうに無いな、と腹内に示唆した言葉は呑み込んで、だが今の気分を如実に示すようには咽喉を鳴らすような低い笑い声を立てた。


「まさか、そんな訳無いだろ。退屈くらいで人が死んだら世話は無い」
「お前はカミサマだろう」
「人も神も一緒だ、宵藍。退屈なんかで死んだら堪ったもんじゃないからな」


くつくつと笑う硬質で低いの声は、透明度が高い硝子のようだ。澄んだ響きは、耳に心地良い。
まるで清流のようだ、と晴明が例えた事もあったかも知れない。
思い出した様にそんな事を考えながら、青龍はの傍らに腰を落す事無く、空間に良く透る声を響かせた。


「先程玄関で晴明に会った」
「あぁ、都への出仕か?また不機嫌を貼り付けて返って来たのか?」
「…………いや……、珍しい花が咲いていたからに、と預かった。」



「………………………………花?」


大きな金眸を瞬かせ、不自然に言葉を噤んだに、青龍は不自然に左だけ後方に据えた手を眼前に差し出した。
細く無骨な男の指に掴み上げられているのは、名も知らぬ晴れ渡った蒼い空の様な花弁を数枚放射状に広げて風に揺らぐ一輪の蒼穹の花。


道端に人知れず名も知れずに咲いていただろう、透けるように蒼い一輪の、花。


訝しげな面持ちで差し出した花を見据えるのその静かな様子を、青龍はそろりと窺った。
仮にも阿修羅の御子と称される修羅に位置する神様に、道端に咲いている様な花を一本だけ手折って渡す等という行為が許されるものではない。
普段の比でなく絶対零度かつ棘に満ちた応対が返ってくるものだと納得した青龍が晴明に付き返そうかと腕を差し戻そうとした矢先、

少しは女らしく為れってことか?

の薄い口唇から、小さな呟きが零れる。



「其れともあれか、花一つも贈って貰えぬ男勝り大爆発な私の身を痛嘆してくれたとか、か?」



なぁ如何思う、宵藍、と…至極真面目にそう言って青龍を見上げるに、絶句した。
何しろ青龍は、怒髪天を衝く勢いでに思い付くだけの罵声を浴びせられた後に『突っ返して来い!』と未来絵図まで綺麗に描き、其の前に食い止め様としたのだ。
其れを真っ向から否定されるような、寧ろ道端で手折っただけの花を贈られて喜ぶような素振りを見せる阿修羅の御子に、完全に茫然自失。

青龍はに出逢って何度目かの、奇怪な生き物でも見る様な眼差しを、送る。





暫くの、何とも言えない微妙な沈黙の後――――――――。




す、と音も無く青龍が足を一歩前に踏み出した。
長めの下衣の裾が木目の廊下板に擦れる音がかそけく響き、の本当に隣まで歩み寄ると、静かな物腰で膝を折った宵藍が、蒼い花を携えた指先を掲げる。
一体何をするのかと金の炯眼は天を仰いで宵藍の所作を見定めようとすれど、宵藍は不機嫌な表情を浮かべて一瞥した。
別に機嫌が悪いと言う訳ではない、元来素の顔が不機嫌なのだ、この男は。
晴明の様に誰にでも分け隔てなく穏やかな顔を出来るような出来た体質でも無い青龍は、例え"恋人"の位置に座し天界最高闘神と賞賛される阿修羅の御子を眼の前に据えても、其れだけは変わらない。


動くな、と言葉には出さずに目言葉だけで伝えられ鎮座すれば、自分と同じ眼の高さで揺れる蒼穹の瞳が垣間見れ、背から降りて来たひと房の髪が不機嫌に揺れる。



「お前も、花を貰うと嬉しいのか?」

同じ眼の高さ、意識を集中すれば青龍の心臓の鼓動さえも聞き取れる様な位の近い位置で、彼が問うた。

「そうだな…少なくとも、悪い気はしないんじゃないのか?」
「何で仮定形なんだ」
「だからさっきも言っただろ?"花一つも贈って貰えぬ男勝り大爆発な私"だって」


何を今更判りきっている事を。
自覚症状を起こさせる為か?何度同じ事を言わせるんだ、と呆れた声で返せば、青龍は至極驚いたように滄桑とする眼を見開いて、小さく溜めた息を吐いた。
其れは唯お前に花を贈ったら返り討にされると思っているからだろう、低く冷えた声が紡ぎだす小言は、やけに耳に心地よく聞こえた。



「別に同情なんていらないぞ?」
「同情なんてするか。」
「じゃあ何だ?私を慰める為に態々膝まで折ってくれたんじゃないのか?」



楽しげな響き。
口角を歪めるよう、薄い笑みを浮かべるは青龍を見上げる。さすれば、青龍はわずかに物問いたげな顔をした。
暫し逡巡したような一拍の悩みの後、言葉には何もして来ない侭、手に持つ蒼い花を背に流したの漆黒の絹髪に差し入れる。


(?)


一瞬、何が起きたのかが判らぬ侭呆然と青龍を見上げたの鼓膜には、青龍の言葉は何も聞こえては来ない。
一体なんだ、つと金の双眸を上向ければ、無言で青龍はの頬に寄り添う夜色の髪を指先で掬い、すと耳にかけ置いた。
落とされる両眼の色は深く、訝しげに見詰めた侭のにはそこに某かの感情を定めることは出来なかった。


「――――花簪、だ」


きょとんとした歳相応の顔付きになった最高闘神阿修羅の御子に一瞥をくれ青龍はかそけく呟きを漏らす。
あぁ、とは青龍の瞳を辿って耳に掛けられた髪の袂に手を添えると、硬い枝の感触がした後に柔らかく瑞々しい張りを持つ花弁にぶつかった。


晴明に貰った花を髪の隙間に簪だと言われて差し込まれただけだと云うのに、は胸奥が何処か微少に緩やかに温かく為るのを感じた。
こう云うのも偶には悪くないな、とふわりと薄く笑いは髪に長い指を梳き入れた。
カツンと爪先に当る茎が妙に新鮮で、新しい玩具を与えられた子どもの様に飽きもせずに何度か其の行為を繰返す。



「宵藍、如何だ、似合うか?」
「似合わなくも、無い」

近くに自身を透かせてくれるような物体が無いため、は手っ取り早く花簪を付けたまま隣に居る青龍に嬉々として問うた。
だが返って来た曖昧な返答に眉間に皺が寄る。

「何だ其の微妙な返答は、こう云う時には嘘でも"あぁとっても良く似合うよ"と言うものだろう」


「―――――――お前には蒼い花より紅い花の方が似合う」


言ってから、青龍は僅かばかり後悔した。が虚を吐かれた様に心ここにあらずといった風情で止まってしまったからだ。
ああ、如何してこの酷薄な口は、偽恋の甘言一つ、巧く繰ってやることが出来ないのか、と青龍は言った後から悔やむ。
もう言ってしまったのだから仕方が無いことなのだが、余りに淡白過ぎた上に勝手な憶測で物を言うなど、と心の裡で自嘲した。

さて、如何謝ろうか、今はどんな表情をしているのか、ふとそこに意識を巡らせた。
見下ろす双眸が、伏せられた両の金眸と眼差しを交わす。
青龍が言葉を吐く前にの薄い唇が放った言葉に、青龍は立場を逆転させて瞠目した。




「そうか?……私はお前の色と同じ蒼い花が好きだけどな」
「……………………………………」
「この花簪が付いている間は、離れていてもお前と一緒だ。」


真直ぐに青龍を見据えそう科白を落したは、艶やかな微笑だった。
其の微笑みを讃えたまま、

「そうだろ、…宵藍」

とほとんど口唇を吐息が摺り抜けただけの、かそけしい呼びかけだった。
青龍の鼓膜が捕えた刹那、背筋にぞくりと甘い戦慄が走った。
突如襲った不可知の情動の波に眼が眩みそうになるのを堪え、半ば無自覚に胸臆を慄わせた。
普段から凄絶な美貌を兼ね備える神と呼ばれる存在が放つ艶めいた色香は、人間の女の持つ其れとは比べ物に為らなず寧ろ、痛ましさを覚えるくらいに、美しく恐ろしいものだった。

其の色香の欠片でしか無いだろうの声が、低く、儚い甘露を孕んで浸透したのだから、男である青龍とて平常心ではいられない。

打ち払うように、青龍は立ち上がった。
如何やら若菜が帰って来て、そろそろ夕餉の仕度が始まる様子。
此処を通れば神気を消していようと流石に若菜ならば拒絶反応を示す事だろう。為らばそうなる前に。


「なんだ、もう行くのか」
「あぁ」
「お前が私に花をくれるなら、私はお前と同じ蒼い花が良い」
「………………晴明に……蒼い花を聞いてみてやる」


青龍は素っ気無くそれだけ答えて、神気を消失し隠形した。
は青龍の態度に如何したものか、と微かに困った様な笑いを含めて、霞み遠ざかってゆく気配を見送った。

暫くして、野菜と卵を抱えた若菜がの傍を通り過ぎた折、やはり興味の矛先は髪に添えられた蒼い花に在った。
「珍しいですね、ブルースターなんて」
「此花はブルースターと言うのか?」
「えぇ、花言葉は『信じる心』そして、『幸福な愛』」
「……晴明は意図して宵藍に此れを渡せと言ったんだろうが、あいつは気付いて無いんだろうな」


くくく、と年不相応な艶のある微笑を零しは夕食を作る若菜の後を追って、台所へと足を運んだ。























枯れてしまったあの花は、若菜が押し花にしてくれて、晴明が印を結び私と宵藍の間で行き交う式にしてくれたんだっけなぁ…



「………御子様?如何為さいました?お加減でも――――――」

蒼い花を見詰め、陶酔しきったように過去に想いを馳せながら時を止めたの、その気配に感づいて、侍女は不安げに傍らを仰いだ。

「…、此花に似た蒼い男を知っていて…ちょっと昔を思い出していたんだ」
「安倍晴明殿に御座いますか?」
「いや、晴明の従える十二神将の青龍という男が居てな、ソイツが…………ふ、思い出したら久しぶりに逢いたくなったな」



逢いたい、と言ったらお前はまた不機嫌貼り付けて一瞥するか?宵藍。



言うだろうなぁ、と己の中で言い断つの真摯な表彩に、侍女は艶のある微笑を纏わせる。
群青の裾がふわりと揺れ、曼珠沙華に透ける黒糸の傍らに同じく色味を揃えた黒布を纏った足が添う。


「御子様、どちらへお出掛けに為られるのでしょう?」
「ちょっと、人間界に、な。ほらあれだ、お中元―――――――?」


逢いたかったから勝手に逢いに来たと言えば、お前は呆れた様に溜息吐いて、そして笑ってくれるか?宵藍。


































(天界は稀城の勝手なイメージ。至る所に曼珠沙華が咲いてそうだ。)
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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/9/16