| 此れは未だ、昌浩が生まれる前、晴明と十二神将が初めてと出逢った頃の、とある十六夜の話。 桜がはらりと散る、春の宵のしがない末端貴族安倍家の庭先の縁側で行われたささやかな酒宴の一幕。 独りの男の儚くも淡い恋心が、桜の花弁と共に舞い散った日。 レプリカエデン ![]() SideStory :其の名はあまりにも神聖、呼ぶべき権利は、、 其の日は、普段身に纏っている群青の外套を脱ぎ捨て、打掛に似た淡い空色の着物を身に付け安倍家の縁側で八部咲きの桜を見上げていた。 今宵の月は良い。 十六夜の月を背に、全身で生涯をまっとうし喜びを語っているかのように見事に咲き誇る桜が映えている。 珍しく表情を和らげたが、ひらりはらりと空を舞う桜を肴に一杯呑みたいと純粋にそう思った矢先、見知った神気がの隣に降り立った。 「そろそろ酒だと騒ぐだろう、其の前に、と晴明が」 「おぉ、気が利くな、六合。丁度良かった、あの桜を見ながら一杯遣ろうと思っていたんだ、付き合え。」 ずいと差し出された酒瓶、徳利なんて柔な代物ではない。 酷く大きめの酒瓶を携え、ご丁寧にお猪口を二個携え不機嫌そうに顕現した六合に、闇色が揺れる白磁の面が顧みた。 其の歳で酒か、と窘められる妙齢の姫君に似た容姿だが、は最高闘神・阿修羅の御子。 年齢は外見を遥かに凌ぎ、十二神将などから見れば唯の子どもに見えるほど、実年齢は高い。 だから、と云う訳でも無いのだが、安倍家に来て若い晴明に時間が出来ている時は決まって酒の相手をさせていた。 晴明が駄目ならば紅蓮を、其れも駄目なら勾陳、青龍、天津さえ異界から天空を呼びたてた事も在ったか。 普段は晴明に付いている六合は、滅多な事が無い限り酒の友に呼ばれた事は無く…そう、思い返してみれば此れが初めてかもしれない。 呆れた様な息を吐きつつも、何処か嬉しそうな表情の六合は、こうして酒豪・の酒の相手をさせられる羽目に為った。 今日は、あの、青龍が晴明に付いているための相手をしていない。 だから物珍しく、が独りで空など眺めていたのだろう。 外灯も無ければ照らし出してくれるのは十六夜の月光だけ、という格別たる情景の中、は早々に六合を隣へ座らせると、我先にと酒瓶を掴み上げお猪口に酒を注いでは嗜む。 あぁ、酒は旨い、と親父臭い科白を吐き出しながら一気にお猪口の中身を平らげ酒瓶へと手を伸ばすを横目に、六合が口を開いた。 「酒くらい、注ぐ。」 「あ?あぁ、余計な世話はしてくれるな、昔から手酌が好きなんだ、私は」 「だが、」 最高闘神・阿修羅の御子に手酌をさせるなど、神の末端に位置する十二神将からすれば無礼以外の何ものでもない。 だが、の意思を捻じ曲げてまで酌をするのも、を冒涜している様な気がした。 暫し逡巡した挙句、の譲歩に六合は別の意を以ってして応えようと、六合は空いたお猪口を手に取るとなみなみと酒を注いだ。 月夜に乾杯、だ等と小粋に洒落た科白一つ吐ける筈の無い六合と、其れを期待している訳でもないは、静謐な空気が漂う中舞い上がる桜を肴に、静かに酒を口へと運ぶ。 一折、また一折と風に散る桜は極上の肴の酒。 春の宵は未だ冷気を孕み、ゆるりと夜風が吹けばの打掛と結わえない長い髪を翻して体熱を攫う。 神とは言え、は女神だ。腹でも冷やし風邪を引かぬとも限らない。打衣位は持ってこようと席を立ちかけた六合を、は無言の一瞥で制した。 折角の酒の宴、たかが打衣一枚に席を離れるなどと無粋な事をするのか、と暗黙で告げてくるに六合は恐縮した。 「桜は良いな、六合。在れは散り際を心得ている。儚きものは美し、桜はまた来年咲く為に散るのだ。」 月が照らし朧に光る花明かりに浮かぶその端麗な横顔に、六合は無言で唯視線を馳せる。 ひらりひらりと空を舞う桜を見詰める金の双眸はやはり何処か優しく、の漆黒の髪が時折桜に撒かれ、美しく闇に馴染んでいた。 六合は一口、二口と酒を運び、猛烈な勢いで酒を下す隣の神を見遣りながら、予てより胸に去来する一つの想いを馳せていた。 そんな六合の心中知らずか、はお猪口に酒を注ぐ序でに胡乱げに隣を振り返り、金の双眸を六合に向ける。 「如何した、気鬱か、六合。眉間に皺が寄りそうだ。」 訝しい顔をした侭問うたに、六合が難しそうに眉根を寄せる。 如何答えるべきかをあぐねいているのだ。 だが、遊び心を孕んだ春の風に飛ばされたひとひらの桜が、の絹の様な漆黒に舞い降りた時、ふつりと何かが切れる音がした。 「そうだな、気鬱だ。我関せず、の心気儘な最高闘神の御子君の心が如何したら手に入るか、と」 他人に恋愛相談するよう、本人眼の前にさらりと述べる言い草は、最高闘神・阿修羅王の御子と称される存在を文字通り呆れさせるのには充分なものの様であった。 大仰に嘆息し、は肩を竦めてみせる。 さらり、と互いの距離を掠め取る一陣の花風が、静かに流れ落ちた。 「六合、私はだな、」 「―――――――――――、俺の名は、」 六合の言葉を遮るよう、が眉根を寄せて、六合を睨む。 機嫌を損ねたのだ、と云う事は、六合が口を開く前から既に判っていた事だった。だから今この場で損なった機嫌を見繕うとは思わない。 思わないが、これ以上機嫌を損ね続けた神は、隣で共に酒を呑む同胞へ痛恨の一発でも放つ位はするのでは無いだろうか。 案の定、先程までは上機嫌で酒を啄ばんでいた神は、怖気を奮うほどの整った顔立ちに明らかな憤慨の色彩を添えて、六合を見遣る。 此れ以上は口に出すな、と金の双眸が雄弁に語る。 十二神将、木を司る六合。 晴明から与えられた真の名、自分は、未だ晴明以外に名乗らせた験しの無い名である"彩輝"だとそうに告げたかったのだろう。 だが、流石に神だけ有ってか、六合の胸中に沈ませた感情の欠片を掴み上げているのか居ないのか、其の名を口に出させる事を戒めた。 床冷えする瞳が、六合を真正面から睨む。六合は久方振りに垣間見る其の視線に射竦められ、咽喉から出掛かった言葉を消した。 ―――――如何してだ、あの青龍には許しただろう、あれが良くて、如何して俺は駄目だと? 其れは、今まで心の中で燻らせ決して面に出して告げる事が出来なかった、六合の想いだった。 神将が、晴明に名を与えられた神将が其の名を他人に教えるという行為、其れを熟知している筈のが、青龍の二つ名を受け入れて六合の二つ名を頑なに拒絶する。 其れが如何云う意図をもっているか、六合とて知らぬ存ぜぬと通せるほど幼子でもない。 告げる前に打ち砕かれたに近しい六合の淡い想いは、舞い上がり儚く散って逝く桜と同意。だが確かに異なるのは、六合の想いは来年また花を咲かせたとて、散る以外に術は無いのだ。 六合から視線を剥し、黄金は、夜風に舞い上がる桜に、うっすらと双眸を眇める。 「暫く待て、六合。其れを呼ぶに値する者が必ずお前の眼前に現れる。其の者の為に、大事に仕舞っておけ」 「俺は、、お前に―――――――」 「云うな、私は未だ、お前を嫌いたくない」 頑なな横顔に、困った様な笑みが浮かんだ。 だが其れが、無理に作り上げたものだと、六合は直感で悟る。 最高闘神・阿修羅の御子。彼女が文字通り、キレた場面や憤慨する場面、手が付けられない程の凄絶な神気を奮う場面は幾度と無く遭遇してきた。 だから、六合には判る。 彼女は今、無理をして笑おうとして、失敗したのだ。科白を吐いた声色が、床冷えしているのが何よりの証拠。 さて、次は何を言おう。六合は思案する。 これ以上、己が想いをぶつけたところで、は益々気分を害して本気で自分を嫌悪対象に持っていくことだろう。 流石に其れだけは回避しなければならない。 緩慢な造作でお猪口を口へと誘う六合は、如何すべきかをしきりに悩んでいた。 の細く華奢な指が携えたお猪口にも、舞い落ちてきた桜の花弁がひらりと浮かぶ。 何処か困り果てたような響きの溜息が、一つ、宗伝唐茶に似た色彩の髪の鼓膜に忍んで。 「六合、……後、だ。如何しても私に教えたければ、お前が一番最初に其の名を告げた其の後に、聞いてやろう」 「……………………………………………………………」 「尤も、其の後でお前が私に教えるなんて事は無いだろうが、な」 掌を伸ばし、漆黒の髪に引っ掛かった桜の花弁に触れる。 流れの侭、するりと滑る様に落ちた花弁は一枚だけではなく、まるでに引寄せられるかのように何枚も張付いていたらしい。 ひらりひら、と舞い降りる花弁を見詰めながら、六合を見上げてくる蜜色に滲む情彩は、咎めと許容の入り混じった微妙なバランスの色合い。 抱き締めたい衝動に駆られるが、腕の中へ掬えば先ず間違い無く青龍の咎めより先に、最高闘神・阿修羅の御子に相応しい制裁が飛んでくるだろう。 そう考えれば、あの男はどうやっての心をもぎ取ったのだろう。益々以って不可思議だ。 あの男に出来て、俺に出来ぬのか、と躍起になりそうにもなる思いをぐっと堪える。 隣では、ゆっくりと傾いだ黒い前髪が子どもと相違無い秀麗なの額をくすぐった。 「俺が将来、一番最初に名を教える者が居たとして、其れでも此れだけは忘れてくれるな」 「…………あぁ、」 形ばかりの緩い返答に思わず笑みが揺蕩った。 そう、最高闘神・阿修羅の御子はこう云う女だった。 知っていて、惚れたのは六合の弱みだ。だが、六合だけではない、青龍も騰蛇も勾陳も晴明も……彼女を知るすべての者は、彼女のこう云うところに惹かれているのだろう。 今更ながらに、そう痛感した。 「俺が一番最初に名を呼ばれたいと思ったのは、お前だけだ」 其れを聞いた途端、は小さな桜の唇に運んでいたお猪口を止め、一瞬言葉を失った。 穏やかだが、抑揚を殺した独特の声で、は真直ぐに六合を見る。 「…………あぁ」 お猪口に残った酒をぐぃと細く白い咽喉奥に流し込み、は感じなれた気配に、すと目を細めた。 見れば、不機嫌も不機嫌、『今直ぐにこの場から消えうせろ』と表情に貼り付けた青龍と、其れを宥める様に穏やかな笑みを浮かべた晴明が此方へと歩いてくる。 このタイミングで現れた、と云う事は、大方随分と前に付近に着いていたが声を掛けるタイミングを逃し聞き耳を立てる羽目に為ってしまったのだろう。 さすれば腹立たしい気持ちは無い事は無かったが、これ以上に想いを告げても実る事は無く、寧ろ嫌悪される道が用意されているだけだ。幕引きには申し分ない。 「晴明、宵藍、此処へ来て共に酌み交わせ、今宵は良い桜だ」 「仰せの侭に、御子。」 「お前は変わらないな、晴明。私が折角名を与えたと云うのに。」 「私よりももっと貴女様に相応しい陰陽師が…其の名を呼ぶことでしょう。だから私は御子、と」 「おぉ、あれのことか、晴明。私も早く逢ってみたいものだ、お前の意思と力を受継ぐ、最高の陰陽師に」 「―――――――――――俺は認めん、最高の陰陽師は晴明一人だけだ」 「宵藍、そんな頭硬いこと言ってると嫌われるぞ。良いから早く座れ、酒が温くなる」 「嫌われても構うか、俺は晴明にしか付かん」 「何でもいーからさっさと座れ、私は気が短い、酒が温くなったらお前に買いに行かせるぞ、宵藍」 その言葉に。 晴明は自然と口許を綻ばせた。六合もなるほどそういう事かと意を得て、双眸が弧を描く。 青龍だけなのだ、が唯一と云って良い、本気で言葉を受け入れ本気で言葉を返すのは。 如何してこんな単純なことに気が付かなかったのだろうか。 別に他の神将や晴明を蔑ろにしている訳ではない。 例えるならそう、我等十二神将が晴明に絶対の忠誠を誓い、何が在ろうと傍に在ると誓いを立てたと同じよう、も青龍だけを受け入れたのだ。 朱雀と天一の関係にも似ている。当の本人達は其の気が無いのか我関せずか、相変わらず口喧嘩も絶えず思い遣るような言葉一つ聞けないけれど。 一旦気づくともう駄目だった。 笑みが深まるのを止められない。それを看破されての機嫌が損なわれるのを防ごうと、晴明は空に為ったのお猪口に酒を注ごうとする。 だが、案の定無言で制され、行き場を失った酒瓶の矛先は、無表情の青龍に向けられた。 「そういえば宵藍、お前は酒が呑めたのか」 「見縊るな晴明。コイツに勝てるのは俺だけだ。誰が酔い潰れた最高闘神を運んでいると思っている」 「宵藍は凄いぞ、顔色一つ変えないからな。きっとあのクソ親父と帝釈天相手でも負けないだろうな。どうだ、今度一席」 「………………………………行かん」 覆いの内側。 のほくそ笑んだ口の端が、愉しげな様で吊り上がっていた。 運ぶ位なら俺が、と言い掛けた六合は本気で言う訳にもいかず、況して話は其処から明後日の方向に飛んでいった為、曖昧に笑みを濁しながら庭の桜を見上げた。 微かにさわめく、春の宵の大気。 花の枝が囁くように鳴り、仄かに彩なす欠片を剥離させ、ゆっくりと舞い上がっては地面へと緩やかに落ちた。 見詰めながら、伸ばせば手が届きそうな気がしていたへの慕情は、 夜風に弄られて降る花びらの様に、六合の指先を擦り抜けて流れ落ちて逝く。 (彩輝、と最初に呼ぶのはやはり風音、という事で。別にこのカップリングは好きではありませんが、叶わぬ恋に四苦八苦する六合は好きです。) [ home ] (C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/8/12 |