| 今でこそ、晴明の傍に仕えるのは木将・青龍であるが、昌浩や成親達が生まれる遥か昔、晴明の傍に仕えていたのは六合か騰蛇のどちらかだった。 では昌浩が生まれている今は何故、青龍が晴明の傍に青龍が仕えているのか、と云う事情はさておき、青龍が普段安倍家を留守にする時は異界に籠る時か緊急の用事であるかのどちらかでしかない。 今日と言う日は陰陽師・安倍晴明が物忌みで参内出来ないために家で大人しく…している訳も無く、今の昌浩同様に数名の神将を伴って、晴明は平安の世を駆け回っていた。 「 、こんなところでぽけーっと何してるの? 」 見れば太陰がの外套を持って襖に背を向け立っている。 太陰の言葉通り、が一頻り独り酒を煽った後、柱時計に目をやれば疾うに日付を越えていた。 少しばかり酔いの回った身体の酔い冷ましとばかり僅かに手を上げ言葉無く太陰を手招きすると、太陰は「んもう!」と小さく小言を言いながらの華奢な体躯に外套を羽織らせ、隣に腰を据えた。 何を肴に酒を呑んでいたのだろう、月は臨めない。軒先から見える夜の帳降りた安倍家の庭には、濃密な雨香が漂うばかりだ。 「 なぁ、太陰。 」 「 なぁに、。お酒の在り処なら私は知らないわよ?若菜ももうとっくに寝ちゃったし 」 困った様に小さな相貌を尖らせた太陰に、は何も言葉を返さなかった。 落ちる、奇妙な静寂。さすれば、自然と聞こえてくるのは降注ぐ雨音だけ。夜半の雨は篠突く気配も無く、地を打つ音すら密やかに、地上へ細かに降り注いでいる。 入梅も過ぎたというのに、雨が降るのは実に20日ぶりだ。 水不足の懸念されたこの地に雨を降らせる為に、晴明は神将を連れ立ってかの地へ赴いたのだろうか。雨を降らせる事などにしたら造作無い、赤子の手を捻るよりも簡単な話だ。 晴明の気配を感じなくなってから六刻後に自然と降注いだ雨に、はなんとはなしに、晴明達の外出の理由付けをした。 為らばもう直に帰ってくるのだろうか。だが、行く路は夜の帳深く降りて、人影も気配も何も無い。 (如何したのかしら、は…) 太陰はから、別に不機嫌な印象も苛立っているような印象も受けていないのだが、如何にも「心此処に在らず」な阿修羅の御子を初めて垣間見て、眉を顰めた。 そうして数瞬程経過した頃だったか。煙る雨音を先に遮ったのは、沈黙を守った筈のの方だった。 「 ……知らなかったら別に良いんだが、宵藍は何処へ行った? 」 言葉に太陰は、驚きを滲ませて息を呑んだ。零れ落ちそうに小さな相貌から覗く太陰の瞳が、これが予期せぬ言葉であったことを物語っていた。 今まで青龍がに黙した侭安倍家を空けることが無かったのだろうか。否、青龍はに行き先も告げずに鉄砲玉の様に飛び出した晴明の後を追ったというのだろうか。いや論点は其処ではない、あの阿修羅王の御子であるが、独りの男が夜半を過ぎても戻らぬ事を危惧しているというのか。 …等等考えながら、酷く珍妙なものでも目にしたような心地になりながら太陰は憂いたのその様を暫し眺め、そして、漸く緩やかに唇を持ち上げたのだった。 「 青龍は六合達と一緒に、晴明の護衛に付いて行ったわよ? 」 「 ………そうか。有難う、太陰 」 さわさわと木々のざわめきのような雨に降り込められた部屋の、薄狭い軒下越し、雨樋から漏れ零れ屋根から直で滴り落ちる雫には指先を触れた。 熱の移りゆく、そっと、触れた瞬間にだけ落ちたかすかな感覚に、僅か息を留める。やがて握りこまれた掌の中、籠った力の侭に、殆ど衝動で外に抜け出していた。 「 、この雨の中何処に行くの!? 」 「 あぁ、ちょっと迎えに、な 」 迎えに、って一体誰を、よ? 問う前に脳裏で考え、如何考えてもが迎えにいく相手など独りしか思い当たらない太陰は、濡れた闇の中にも鮮やかな群青が一つ、佇んでいるのを見遣る。 だが直ぐに気配と共に姿が消え、太陰は粒子の紗幕のむこうで、の消えた空へ視線を向けていた。 身動きもしないでいると、遠く、耳をすませば、感じなれている同胞の放つ神気が僅かに感じられ。太陰には未だ気配だけで姿見えない距離だけれど、が寄り道もせず青龍のところへ向かう情景があまりにはっきりと脳裏に浮かんで、笑いたくなった。 おかえり、おかえり。 ずっとずっと、待ってたよ。 レプリカエデン ![]() SideStory :おかえりおかえり、ずっと待ってたよ 出雲の国からの帰り道。 途中まで白虎の風に乗せて貰っていた晴明たちは都に着いてから、唐傘一つで暗路をゆっくりと家へ向かっていた。 天候の定まらない、曖昧な狭間の季節の筈なのに、一向に雨だけが降らない。 藤原氏に直々に勅命を受け出雲へ飛んだ晴明だったが、付いて行く、と言った青龍にへの託を伝え忘れぬように、と念を押すことすら失念する程急いでいた。 実は此処の所は天界へと帰っており、その間青龍は先日受けた怪我の治癒の意味も籠めて異界に居た。 しかし今朝方傷が回復したと同時に天后から晴明たちが出雲へ行くと聞いた瞬間に人界へ降り、今日が天界より降りてくるという事を晴明が告げる前に安倍家を出てしまった。 どうにもこうにも咽喉奥痞える様な心地がしたが、よもやが安倍家で待っているだ等と思いつきもせず、出雲に付く頃にはすっかり晴明も忘れていた。 ……と云う事を今、晴明は唐突に思い出したのだ。 息を吐き出して視線を上げれば、ひそやかに濡らされていく空が見えた。 「 今日は本当に済まなかったな、宵藍。 御子に言う暇も無かっただろう 」 「 気にするな、晴明。 」 「 だが、 」 そう言い掛けて、晴明は口を噤む。同時、前方1Km程先に、見知った凄絶な神気が降り立った。 晴明が感じている位なのだ、青龍は幾許か早く気が付いていた事だろう。距離を置いて控えめな堤燈が連なる、砂利と土ばかりの道の上を歩く足を、晴明は不意に止めた。 先に行け、と促したかったのだろう。柔らかに表情を和らげた晴明が目配せすれば、相変わらず整った顔立ちに不機嫌の色を浮かべて一瞥し、だが否定も肯定もしない侭に晴明を置いて先を歩き始めた。 左回りで帰るか、六合。そう続けられた言葉への返答を聞く事無く、晴明は他の神将を引き連れて青龍たちに背を向け来た道を引き返し始めた。 身体に薄く掛けられた布を風に翻し、宵闇と雨の所為で濃い蒼色に見える髪を静かに揺らし、青龍は遠くなっていく。 「 如何だった、出雲は。天照にでも懇願に行ったか? 」 雨脚は一向に治まらず、今まで降注げなかった分を取り戻すかの様に、よりいっそう勢いを増す。 羽織った外套、そして裡に隠れる夜色の髪へも滴を伝わせて、その、切り揃えられた癖の無い前髪から点々と雫を落としながらは薄く微笑ったようだった。 この雨の中、番傘も差さずに何をしている、雨に濡れて頭でも冷やしたいのか、と酷く珍妙なものでも目にしたような心地になりながら青龍はその様を暫し眺め、そして、呆れた様に息を吐いた。 「 この間…雨の中傘も差さずに買物へ出掛け若菜に怒られた事をもう忘れたのか 」 「 いや、忘れては居なかったが、傘を持つ前に家を出たから仕方ないだろう。なんだ、心配してくれているのか、宵藍。 」 聞いた事への返答が無い事には一切触れず、軽口に伴って浮かぶ笑みは雨水を多分に含み、黄金の視彩は深く穏やかだ。 一条大橋の袂で歩みを留めたの代わり、音が立たず静謐な空気を縫う様に幾歩か足を進め、青龍は佇むの傍らに寄る。 だが連れ立って歩く気など初めから無いのか、さっさと先を取って歩いてゆく。 はその態度に相変わらず何も変わっていない、と微かに嬉しげな表情を浮かべて、後を追った。 「 そう云えば、晴明達は如何したんだ? 」 「 ………知るか。其の侭夜警にでも出かけたんだろう 」 振り向きもせず、の歩調に合わせる訳でも無く、青龍は素っ気無く其れだけ答えた。 もどちらかと言えば太陰の様に何時も明るい太陽のような性格と言葉遣いと気配りが出来るかと言えば真逆側の位置に居るため、他者が如何云う言葉遣いや態度で居ようが余り気には為らない。 だがは其れでも、積極的に安倍家の人間や神将たちと交流を深め距離を縮めていった。 沈着冷静で寡黙なあの六合でさえとは笑いながら話をする位だと云うに、と青龍の距離だけは縮まっている様で縮まっていないようにも見える。 最初のうちこそ視線すら合わせてくれなかった青龍に、嫌われているのではないかと不安だったが、ここ数ヶ月の付き合いであの晴明相手でさえも同じような態度を取るのだと知ったので、最近は其れが当たり前に為っている。 再び納得すれば、は髪を掻き上げ月も見ることの出来ぬ空を振り仰ぐ。 光源は一つ、道標の様に等間隔で並び仄かな灯かりを燈す堤燈のみ。橙とした柔らかな温暖な灯かりに似た光に浮かび上がるの顔は、矢張り何処までも麗しく麗容だ。 だがそのを見ることも無い青龍との間に、しん、と再び降りた沈黙に包まれ、金眸が先刻より更に大きく丸まった。 「 ……今日は余り呑まなかったのか? 」 「 そうだな、独り酒はつまらん。 」 「 今度は付き合う 」 「 そうしてくれ、最近天空が体調不良で付き合ってくれなくてな、如何も張り合いが無いんだ 」 未だ濡れそぼつ漆黒の絹髪は濃く深くされど柔らかく沈み、その昏さは生来の肌色の白さと相俟って頬や首へ美しく映えていた。 見えぬ月でも仰ぐように、青龍を見上げる金眸は気難しさを湛えていたものの鋭いという程でも無く、静かに見据えているように見える。言うか言うまいか、何かを思いあぐね居ている様にも見える所作だが、好都合な事に青龍には見えていない。 だが其れは青龍も同じだったようで、 「 ………悪…た……、待っ……る…約……した、……に 」 冷たい静寂とはっとする程の暗さを湛えた酷い薄暗闇に包まれて、金眸が先刻より更に大きく丸まった。 最初から言葉を伝える気が有ったのか無かったのか、終いには殆ど雨音に掻き消されて吐息の様であった微かな青龍の科白は、だがしかしの鼓膜にはしかと届いて。 まるで、雨雫の如くの深奥へと沁みこんだのだ。 本当に珍しいことだと、上る笑みに嬉しさの色が仄か混ざる。 普段の彼の素行言動からは想像も付かない様な科白に苦い笑いを押し殺せずに笑い出してしまいそうになったが其れでも、は青龍の背中を見詰めながら、返答する。 青龍の気配を感じた瞬間、引きとめようとした太陰の言葉も振り切って、番傘も持たずに雨の中を飛び出した理由を。 「 あぁ、だから迎えに来てやった。 ……ただいま、宵藍。そして、おかえり 」 冒頭の言葉とは裏腹、黄金は霧雨の降りしきる茫洋たる闇と不機嫌そうに揺れる濃蒼の髪束に眼差しを留めながら、玲瓏な響きが木霊する。だが其の言葉のあと、 ただいま、と素直に言えば良いものを言えぬのか、返って来たのはともすれば雨音に紛れてしまいそうな、かそけしい首肯だった。 しかし其れでもは充分満足したのか、星でも見えれば良いのにな、と囁くように続けて、また沈黙が立ちこめる。 包む心地良い静寂に流されるままに、青龍も眼前の闇へと視を添え、と同じように空を見遣った。 さんざめく鼓膜を打つは、繊細な雫の潰える残響のみ。他に余計な音は何も無かった。 ふと、が切なげな笑みを浮かべた。 「 宵藍――――――…、 」 「 如何した 」 「 …………いや、なんでもない。 」 何時か、「ただいま」と「おかえり」が居えない様な距離に居続ける時間が永遠とも言える位に長くなったとしたら、と言い掛けて口を噤んだ。何時まで此処に居れるかは、判らないのだ。判らないからこそ、口約束にも似た言葉を、と思ったのだが、急に馬鹿馬鹿しくなって止めた。 声調が僅かに乱れた事に内心で舌を打つが、青龍が振り返らないのだから多分、この話は終わるだろう、そう思っていた矢先。 「 忘れたか、。 俺はお前に、待っている、と言った筈だ 」 そしてお前は「勝手に待っておけ」と言っただろう、と告げて一条大橋を一足先に渡りきる。 もう忘れたのか、と僅か蒼髪を傾ける青龍の口許は棘ある口調とは裏腹の柔和さを醸し出している。 忘れていない、と面立ちを射抜く強さで見上げれば、その表情に憤りや呆れの色は無い。同じように、ただ吸い込まれそうな静穏に色塗られていた。 更に丁度良いタイミングで左手側から六合と勾陳を連れ立った晴明が歩いてくるのが見えて、は薄い笑みを浮かべた。 「 お帰りなさいませ、御子。 出迎えずに申し訳有りません。 」 「 ただいま、晴明。 気にするな、太陰が抱きついて歓迎してくれたから、お前たちの分はチャラだ 」 「 若菜に買わせた銘酒があります故、明日の晩にでも 」 「 おぉ、じゃあ晴明、明後日まで物忌みが延びた事にして、今から酒盛りって言うのは如何だ? 」 「 …………神が物忌みだと言えば物忌みなんだろうな、晴明 」 ぽつりと零した勾陳の科白に、晴明が苦笑し、青龍は呆れた顔を隠せず、六合は毎度の事だと顔色一つ変えない。 の面差しがうっすらと綻ぶ。睫毛を上下させれば縁から雫がさらさらと零れて、再び闇を見上げた金瞳に、もはや憂いた彩は無かった。 長雨が霧雨に代わり降る中、掻き消えること無く響く会話へ呼応するように、続けざまに滑らかな所作で群青の外套が揺れた。 おかえり、おかえり。ずっとずっと、待ってたよ。 そんな言葉は到底言えそうも無いから、だから君を何時までも此処で待ってるよ、言葉が無くても眼を見れば気持ちは伝わるだろうから。 君が帰ってくる場所は、此処に在るから――――――。 [ home ] (C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/11/26 Present for 鏡見 遥 sama and Title by ユグドラシル |