マグルを忌み嫌い蔑む純血一派の一員でもある僕の中で、薄汚いマグルが住まう世界に足を踏み入れる事等生涯無いと思っていた。勿論、今も其の意志だけは変わらないのだが、唯一例外と言える場所が一つだけある。
もうじき夜に為ろうとしている時分。
蒼穹だった空に今、一切れの雲もなく頭上に瞬くのは無数の星の光。
棚引く薄紫の世界から完全に夜の帳が落ちようとしている中で輝くように流れていく星にも、僕が瞳を向けることはない。
此処はマグルの世界のとある街の時計塔の上。
螺旋階段を何百段も登らなければ到底辿り着けもしないような高層階に、僕が此処に居る理由の一つが存在している。
マグルでも無いのに、気付けばいつも此処に彼女が居て、僕も此処へと来る事が日課の様に為っていた。
昼は手を伸ばせば雲が掴めそうで、夜は星々が頭の上に堕ちてきそうな場所。
さらりと撫で付ける風に靡く髪も其の侭に、長く伏せていた瞳へと呼びかける声もどこか遠くのことのように聞いていた。
「いい加減、ホグワーツを抜け出すのを止めたら如何だ?次こそスネイプ教授に怒鳴られるぞ」
「平気だよ、成績を落さなければあの贔屓教授は何も言わないから。そう言うドラコはサボり?」
「……冗談だろ、僕はお前を連れ戻しに着たんだ」
呆れた様に言えば、「ご愁傷様」とは他人事の様に言い、穏やかに微笑みを向ける。
一向に帰る素振りを見せないに根負けしたかのように、僕は小さく息を吐いて自堕落に年季の入った荘厳な石柱の欠片に腰を落す。
ぶらりと垂れ下がる足の下には、遥か数百メートル下方に、紐の様にマグルが見えるだけだ。
面白く無さそうに鼻を鳴らし隣を見れば、は時計塔に備え付けられた大きな鐘を見上げている。
もう何年も鳴らされていないのだろう。金色に輝いていた筈の鐘が雨風に晒され風化し、時を留めてしまったように錆び付いている。
「昔ね、この時計塔の鐘は結婚式の時にだけ、鳴らされていたらしいよ」
「ウェディングベルってことか?」
「そう。……でもかなり前に老朽化が進んだこの鐘が音を出さなくなったから、向こうに見える大きい教会、あそこの鐘を代用で鳴らすことにしたんだって」
「…ならこの鐘がここに付いている意味が無いんじゃないのか」
「ううん、この鐘、ちゃんと鳴るんだよ。本当に本当に稀なんだけど、教会の鐘を鳴らす前にこっちも一応鳴らしてみるんだって。…でもご覧の通りだから、鳴る確率は本当に低いらしいけどね」
肩を竦めて遠くを見詰めるの横顔に、風に戦いだ絹髪が掛かった。
さらさらと靡く其の髪に、ふとした時に初めて触れた、その手の感触を今でもはっきりと憶えている。
まるで触ってくれと言わんばかりにゆらゆらと揺れる髪をこれ以上意識しないように、瞳を落とす。
映りこむのは、ホグワーツの制服から除いた、色ずっと白く、整った造形にすらりと伸びる白磁のおみ足。
髪なんかよりももっと性質が悪い、と息を漏らした、一瞬の後。
「ウェディングベルなら、一度くらい…聞いてみたいよね、ドラコ」
ささやくように落ちた言葉に視線を上げる。
真っ向正面から目が合って、ふっと細められた瞳には、胸の奥がわかりやすく音を立てた。
揺れた感情は表情には出なかった筈だが、確実に僕の中では重ねた思いを閉じ込めた箱が開き始めている。
好きだと自覚した時既に、何処が好きかだなんて解らない位心が堕ちていて、理由なんて後付でしかないのだと思い知らされる。
そうして後付された理由のもとに芽生えた恋愛感情に日に日に押し潰され、「好きだ」と伝えたいと心が声を上げ始める。
だから、今、
「…、」
「―――――ん?」
ゆっくりと息を吸込み、肺へと落とし込む。
そうすることで、心を少しでも落ち着かせようとするのが目的だったのだが、自然と降りてくる沈黙の帳に耐え切れずに下唇を噛みそうになる。
「…僕はホグワーツに入学してからずっと…」
そう、いつも僕は此処で、言葉に詰り「なんでもない」と返して告白タイムは強制終了を告げる。
もう何度唯の一言が言えずに居るのだろう、勇気が無い、それだけの理由で思いを伝えられない自分で自分が厭になる。
だが、何時までもこうしている訳には行かない、と心の中で声を張り上げ、名前を呼ぶ。
後はそう、「好きだ」と音にして告げれば良い。
意思を硬くし、隣で空を見据えるの腕を限界にまで伸ばした掌で捉えて、引き寄せる。
ふわりと揺れる髪、ひどく間近に振り向かれて一瞬、またも息を留める。
大きな薄紫の瞳瞬いて、まっすぐに僕へと向けられる瞳を見つめた。
瞬間、身体中 に響くような荘厳な鐘の音が、頭上から降り零れ落ちてきた。
反射的に二人同時に見上げれば、錆付いて鳴る事の無かった鐘が揺れ、次いで後を追うように対角線に位置する教会から鐘の音が聞こえる。
「凄いね、聞けたよ、ドラコ」
奇跡の音かな、そんな言葉を聞いた瞬間何かが弾け跳んだようにとっさに背へと腕をまわした。
強くキツク抱き寄せ、それからゆっくりと瞳を合わせる。
腕の中へと抱き込んでしまえば、只管にあたたかな思いが胸を埋めた。
「…僕は君が、好きだ」
吐息に乗せた告白に、伏せられた薄紫の瞳、そうしてドラコの耳にささやかに落された科白。
響き鳴り終わる気配の無い鐘の音の下、どこかで永遠の愛を誓う二人の様に、この二人も恋愛が成就したかは………誰も知らない。
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