『ねぇねぇ、ドラコ、ドラコはのこと、すき?』
『な、なんだよ、いきなり…』
『ドラコはのことが好きですかー?』
『……………………』
『いいもん、ドラコが好きじゃなくても、はドラコが好きだもん』
薔薇色に染まる小さな頬を思い切り膨らませて、けぶるように翳む薄紫の瞳をめいっぱい開き、は不満そうにさくらんぼのような小さな唇を尖らせて、ふん、と顔を背けた。
太陽を逆背に向けて歩き出したに続いて、ドラコも小さく息を吐きながら後ろを追い掛ける。夏の熱い、乾いた風が吹いて、とドラコの髪を隔てなく揺らしていく。
―――――――其れから実に、15年の歳月が流れ落ちた。
ひんやりとした夜霧が薄っすらと棚引き、深遠の月は少し前に沈んでしまっていて、代わりに星灯りが皓々と明るい晩。
何の前兆無く夢の淵から眼を覚ましたは、未だ完全に開きたいと思わない瞼を無理矢理抉じ開けて、朧気な意識を覚醒させる。
夢を見ながら、『これは夢だ。』と何度も思い、無理矢理意識を覚醒させない限りは夢から醒めないような妙な焦燥感に襲われることが、時折在る。今日見た夢も、其れと似たようなものだった。
(懐かしい、夢だな。)
幼い頃の記憶が上手く消化されずに記憶の中に留まり続け、ふとした瞬間に残滓となって零れ落ちてきたかのような夢は、酷く懐かしい幼い頃のとドラコの日常の一こま。
未だとドラコが5歳にも満たなかった頃の、暑い夏のとある問い掛けが、最近何度も夢の中に出てくる。
ドラコと…否、マルフォイ家と家は魔法界に於いて其の名を知らぬ者は居ないとされるほどの旧家だ。
幼馴染と云えば其れで全ての関係に抵当が付く。
幼かった頃の二人は歳が同じだけあって仲が良く、何処へ行くにも小さなその手をいつでも繋いでいた。
マルフォイ家の中庭で、二人は互いの耳朶に唇をつけるようにして、声もなく何か秘密の話をしたり、笑顔を見せたり、笑い転げたり、傍から見れば本当のきょうだいの様に仲の良い二人だった。
(あの科白の後、どうなったんだっけ…、)
そう云えば、何時も見る幼い頃の夢の記憶は大抵がこの頃までで、後はふっつりと記憶自体が殲滅しているかのように途切れてしまう。 記憶再生術でも掛けなければ思い出せない程、忘却の彼方へ飛んだ記憶。
夢ならば思い出すことも可能だろうか。
何時もいつも同じ場所で千切れる夢の欠片。出来れば、夢であっても、続きが見たいから、と、途切れた夢のしっぽを探してみる。
だが目を閉じたまま、何度試みても、とうとうそれを捕らえることは叶わなかった。
(咽喉も渇いたし、水でも飲んでこよう。)
薄地の掛布が擦れ音をたてないよう注意を払い、はそっと身を起こした。
幼馴染と云う関係から、婚約者、と云う位置付けに変更されたとドラコは、休日ともなれば当たり前の様にドラコの自室では就寝することと為った。
本当は客間か自分の家に帰っても良かったのだが、娘が出来たと喜ぶナルシッサと、僅かでもルシウスの傍に在れる喜びとが折り重なって、結局はこうして毎週末はマルフォイ家で過ごしている。
傍らで仰臥し密やかな寝息を零す、ルシウスと酷く似通った端麗な容姿の男―――ドラコは、以上に眠りが浅い。
昨日も週末前だと云うのに、家に着いたのがもう夜半を過ぎ丑の刻を数えるような時分で、家に着いてからも何だかんだで書斎に一時間以上籠っていた。
意識を休閉できる状態に落ち着いているのなら、それを破る真似はしたくなかった。
無防備な、それでいて端正な寝顔を見つめ、は柔らかな笑みを浮かべる。
(………今のドラコって、昔のルシウス様に似てるのかな)
胸中で零せば、弾みで咎が外れたようにふと、夢の中の幼い会話のやり取りが脳内でフラッシュバックした。
『ねぇねぇ、ドラコ、ドラコはのこと、すき?』 『な、なんだよ、いきなり…』 『ドラコはのことが好きですかー?』
『……………………』
『いいもん、ドラコが好きじゃなくても、はドラコが好きだもん』
『……………………』
『じゃあ、もう一回聞くよ?ドラコは―――――――』
「ドラコは、私のこと、すきですか?」
手繰り寄せた遠い記憶の中の会話の続きを唐突に思い出し、気付けば口から小さく漏れ出ていた。
はっと隣を仰ぎ見ても、相変わらず浅い寝息を立てているドラコは、の発した言葉に気付く事も無く眠りの世界に身を委ねている様子。
「……なんて、あの頃の返事を今聞いても、ね」
は眼を僅かに眇め、冷ややかに男の面貌を眺めやる。
相変わらず何の返答も無いドラコに安堵したは、ずり落ちたブランケットを拾上げ、ドラコの上に掛け置いてから静かに部屋を出た。
寝着の代りに着ているシルクのローブがするりと床を這い、室外から漏れ出した柔らかな光りに影が棚引いて、徐々に闇に溶け居るように消えた。
其れを無言の侭声すら掛ける事も出来ずに見送った、数分後。
眠りに着いていた筈のドラコの双眸が、そっと開かれた。
苛立ちと焦燥と寂然の念が張付いた眸を包み隠している眼瞼に、癖のない長めの前髪が揺れ、苛立たしさを押し付けるようにドラコは乱雑にかき上げる。
「すきですか、か……………」
己の耳にさえ届くか届かないかのかそけしい音が口唇を掠める。
口元が自嘲交じりに歪められるのは、が発した僅か一言で、自分も幼い頃の約束とも取れない小さな出来事を思い出したから。
思い出して、『好きですか』と聞かれたに、恥ずかしさから何も答えて遣れなかった幼い日の自分を自分で呪いたい程だ。
「好きだよ、。………たった一言、如何して、あの日僕は君に言えなかったんだろう」
そう言って、ドラコは静かに嗤った。
幼かった、あの頃。
好きとか嫌いとか、幸せとか不幸せとか、男とか女とか、そう云う類のもの全てを理解出来ないような歳の頃に好きだと言われ、ドラコは自分の好きな少女からの小さな告白一つに言葉を返さない位でこの関係が終わるとは如何しても思えなかった。だからあの日、敢えて何も言わず、言えなかった。
君が居るだけで、この色の無い僕の視界は鮮やかな色彩を見る。
君が居るだけで、草臥れた世界は豊かな旋律を聴き、光りで満たされ、乾いた心が潤いを取り戻す。
そんな君が僕を好きだと言ってくれた、最初で最後の日。
『離れないで、傍に居て、何があっても、ずっとずっと一緒に居てね』
記憶の中で蘇る、幼かったの祈りの声と願いの言葉。
あぁそうか、先に手を離したのは僕だったんだ。手放して見放して、約束を破ったのに未だ君を乞うなんて、
何て滑稽な。
まとわりつくような悲しみを、絶望と悲しみを、戻せぬ時を悔恨し、過去を引き摺り甘い現実を貪り、其処に捜すのは何故だろう。
今更過去を悔いても何も始まらない、過去は過ぎ去ったんだ、そう言い聞かせても、もしもあの時「好きだ」と言っていたら何か変わっていたのか。
そう思ったところで、脳裏に描かれた未来など、最早今では想像の産物でしかない。
でも、それでも、願いが叶うなら、時間を巻き戻して告げて遣れなかった幼い自分に渇を入れて君に好きだと告げるのに。
そうすれば、今君が愛するのは父ではなく、僕だったかもしれないのに。
あぁそう、全ては一つ。………父ではなく僕を愛して欲しかった。
「あの頃からずっと僕は、君が好きだ」
そう呟いて寂寞漂う瞳を伏せる。
ドラコが囁いた愛の科白は、ルシウスの自室へと向ったの耳に届く事は無い。
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