魔法界屈指の純血一族の嫡男として生を受けた僕に取って、欲して手に入らぬものなど過去の経験上一度だって在りはしなかった。
尤も、僕が強請らずともある程度のモノは自動的に両親から無償で与えられ、望むものなんて無いって思える位に甘やかされて育ってきた。勿論、僕は其れが悪
いこと
だなんて一度も思った経験は無い。世の中は残念なことに万人に等しく作られている訳ではない。僕がこうして温かいスープを飲んでいる瞬間に、何処かで子ど
もが餓えて死んでいるかもしれない。だからといって、僕に何が出来る?何も出来はしないさ、してやった処で一陣の風を送るようなものだ。一時のシアワセな
らば知らない方が幸せだ、最近何時に無く卑屈になった僕は、再びスプーンにスープを掬い上げてつくづく思う。
「もうじきお誕生日ね、ドラコ。何か、欲しいものはあるかしら?」
「………間に合ってる。」
丁度寝室から父と共に降りて来た母に聞かれ、素っ気無く返事を返した。そういえばもうじき僕の誕生日か、欲しいものなんて、何も無い。そう、欲しい『も
の』なんて僕には何も無いんだ。
僕が欲しいものは『もの』なんかじゃない。他の人は、無いもの強請りだとか、子供染みた独占欲だというのかもしれない。でもそれは違う。
聡いあの人達も気付けないほど密やかに、その気持ちは随分前から僕の中にあった。
「おはよう、ドラコ。おはようございます、ナルシッサ様、ルシウス様。父上からルシウス様、ナルシッサ様へ妹の結婚式への招待状をお持ちいたしました。」
突然、開け放たれた扉からふわりと柑橘が舞った。次いで降りて来た玲瓏な声に、指で挟んでいたスプーンがカタカタと戦慄く。
出来るだけ平静を装って後ろを顧みれば、柔らかなシフォンのドレスに身を包んだが、絹髪のような漆黒を揺らして大広間の扉に居た。
「あら、有難う、。最近益々綺麗に為ったわね、本当、結婚しないのが勿体無いわ。どうかしら、うちのドラコのところへ来る気は無い?
なら大歓迎よ。」
「有り難いお言葉、身に余りますわ、ナルシッサ様。父からもその話は頂いておりますが…無理を言い一人身で居ります。…私は当分自分の遣りたい事を遣ろう
と思っておりまして」
「えぇ、其れは公爵から聞いているのだけれど…あぁそれにしても、本当、勿体無いわ。の遣りたい事が終わったら、是非家に来て頂戴、みんな歓
迎するわ。」
花が舞った様に微笑む母に、は困った様に微笑んだ。そして、『公爵』の代名詞にふと思い出したように、招待状を母の手に渡しながら、
「父がナルシッサ様に妹の婚礼衣装を見立てて欲しいと言っておりました。ナルシッサ様さえ宜しければ、午後にでもいらしては下さいませんでしょうか。」
「まぁ、公爵が、わたくしに…?勿論、直ぐに参りますわ!ちょっとメアリー、わたくしの水色のドレスを出して頂戴、あと銀の簪と…そうね、ネックレスと
花飾りも必要よ!早くして、お待た
せしてしまうわ!!」
の言葉に瞳を見開いた母上は直ぐに梟便を飛ばし、侍女を呼びつけて遽しく部屋へと歩いていった。
今日はきっと戻っては来ないだろう。誰も聞かないし問う事も無い。こんな事は日常茶飯事だった。勿論、明らかに嬉しそうに弾んだ声で「如何しましょう、わ
たくしで良いのかしら」と言いながら明らかに女の表情を零す母上の素行を、父は見て見ぬ振りをしている。もうずっと以前から……そう、の母君がの
妹君を産んで直ぐに病床
で他界してから、公爵と母の密通は行われていた。
「ナルシッサ様をお借りしますね、マルフォイ様」
「………構わぬ」
僕が母のことについて勘付いたのは、あの人がを愛していると気付いた時だった。全てが壊れてしまったあの日のことを、僕は鮮明に覚えている。
僕の知らないところで、僕の母はの父君を、僕の父は友人の娘であるを、そうして僕は父を愛するを好きに為っていた。
其れから、だ。魂という存在そのものがすり替わってしまったのではないのかというほどに、の存在が僕の一部になっていた。
「、妹君の相手は何処の公爵だ?」
「いえ、確か伯爵様よ。同じ東洋に居を構える、かなり有名な伯爵様」
「珍しいな、家が伯爵家に嫁を出すとは」
「そうかしら?きっと家は兄様が継ぐから妹が何処へ嫁ごうと父には問題は無いのだと思うけれど。」
他愛無い世間話をしながら、僕は思う。間違いなくは父を愛している。
が誰とも婚姻を結ばず一人身で居るのは、きっと父の為。勿論に、僕や母上から父上を奪う気持ちなど更々無いのだろう事は見て取れる。其れが出来る
くらいならば、今こうして穏やかに会話をしていられることすら無いのだから。
自分を犠牲にし人並み程度の幸せを棒に振ってまでも父の傍に居ようとするに、建前や世間体で誰か伴侶を伴わなければ為らないような事が在れば、有力候
補はきっと僕だ。自惚れ等ではない。何処の馬の骨とも知らぬ男の元へ嫁がせるなど、公爵が許しても父が赦さないだろう。
そう、僕は多分其の為に、何処からも嫁を貰わずに独りを想い続けているのだ。
「-----------------、先程の話だが」
バサリと魔法新聞がテーブルの上に投げ棄てられる。革張りのソファーに背を預け、無駄に長い足を組み直した父がに向き直る。それに生真面目にも薄
紫の瞳を投げ遣す。
次女の淹れた紅茶を口付ける手前、態々カップをソーサーに戻さなくても良いだろう。暫し無言で見詰め合う空気に、僕は堪らない疎外感を感じた。まるで、僕
などこの部屋に存在していないような、空気。
「……先程の話、と言いますと…妹の結婚式でしょうか」
「いや、君の結婚の話だ。如何だね、ドラコの妻に為ることを考えてみて貰えないか。君がマルフォイ家に来てくれるのは、私としてもナルシッサとしてもこれ
以上の花嫁候補は居ない。なに、遣りたい事など妻に為ってからでも幾らでも出来るだろう、別に君に家に入れというつもりは無いからな。」
突然、何を言い出すんだ、この人は。先程のの話を一ミリも聞いていなかったんじゃないのか。呆れ半分憤り半分、の気持ちも知らずに何を言うか。此
処は僕
から丁重に断りを入れようと、乾き切った唇を紅茶で潤し怒声を投げようと一口紅茶を咽喉奥に落とせば、
「……………父に、伝えます。ドラコさえ良ければ、私に異存はありません」
「ブファッ」
カップに紅茶を盛大に吹き戻した。行儀の悪い事を。そう一瞥する父の視線など、痛くも痒くも無かった。
ナフキンで汚れた口元を拭いながら、僕や公爵や母上の言葉には見向きもしなかったが、父の気紛れに似た一言であっさり僕との婚姻を承諾したことに、
酷く胸の奥が痛みに疼いた。
今直ぐに胸を掴んで痛みに耐える様に蹲りたいほどだ、こんなにも心が痛む事があるのだろうかと錯乱するほど痛みは鋭利な傷跡を残すようにズキズキと痛み出
す。
「…噴出すほど、私は妻に向いていないかしら、ドラコ」
悲しげな横顔に哀愁を乗せて問うたに、そうだ、なんて口が裂けても言えるわけは無い。
君を愛しているから君の旦那には為れない、言えたらどれほど楽だろうか。だが父と同じ様、他の男に捕られる位ならば、僕の隣で僕の父を見ていられた方が未
だマシだ。
此処でYesと言えば、の愛は一生僕に向く事は無い。知りたくなんてなかった、気付きたくなんてなかった。
いつかという、きっと来ないであろう日を夢見ていたかったのに。
「冗談だろ、お前みたいな女、そう手に入るものじゃない。僕から正式に公爵に願い入れる」
気付けば勝手に口が科白を吐いていた。僕の届かぬ想いを打ち払うよう、心中本音とは到底かけ離れた言葉を投げれば、花が綻ぶ様にが笑った。それはも
う、酷く幸せそうに。
きっと僕に向けた笑顔ではないのだと心の何処かで気付いていながらも、の微笑みを見ながら、心に喜の感情が植付けられるのは事実だ。
そう、僕はただこの人を愛してしまっているだけ。
そう、僕が愛した人はただ僕以外の人を愛しているだけ。
そう、僕の愛した人が愛しているのが僕の父親であるだけ。
そう、僕の想いは二度と届く事が無い、ただ其れだけ。
「幸せに…為ろうな、」
父と楽しそうに歓談するを見詰めながら、と父に聞こえない声でそう呟いた。
窓枠から切り取って見える世界は何処までも美しく静謐で、一生報われない想いを抱いた侭僕が生きていくにはきっと少し、色が多過ぎる。
其処に君が混じるんだ。絶望的な未来、でも拒めない自分を自嘲する。
せめて、明日から始まる世界の色が、灰色で満たされていれば良いのに。
たとえ君が僕の父を愛し、父の為に僕の傍に居ようとも、君が傍に居てくれるだけで僕の世界には色が生まれる。可笑しいだろう?君が僕の妻になって僕の父だ
けを愛そうとも…僕に、幸せを与えてくれるんだ、。
僕は君から幸せを貰えるんだ。
だから 愛しい人よ、どうか、君も…幸せに。
|